| 開催日 | 2025年2月16日 |
| ゲスト | 隈研吾さん |
| コメンテーター | 稲本 正 |
2025年2月16日配信の共生進化ネットでは、隈さんの著書『日本の建築』を軸に、“日本建築の本質”を深掘りしていきました。
結論から言うと、この回のキーワードは「迷い」と「進化」です。
日本建築は完成された正解の体系ではなく、悩み続けながら受け継がれてきたもの―そのメッセージが、静かに、でも強く響く回でした。
「日本の建築」は“偉そうな賛美”の本ではない
稲本さんは冒頭で、「あえて細かい質問を用意するより、隈さん自身に“今の時代に何を伝えたいか”を説明してほしい」と切り出します。
その期待に対し、隈さんはまずこう語ります。
これまでの日本建築の語られ方は、「日本建築はすごい」「深い」「正しい」という“賛美”が多かった。しかし、自分が書きたかったのは逆で、日本建築は迷いながら揺れながら形づくられてきた―そのプロセスだ、と。
つまり「日本の建築」というタイトルは権威づけではなく、むしろ若い人に対して「構えすぎなくていい」「悩んでいい」と背中を押すための言葉だったのです。
伊勢神宮は“完全な複製”ではない:継承の本当の姿
話題は伊勢神宮の式年遷宮へ。
一般には「20年ごとに完全に同じものを作り直す」と語られがちですが、隈さんはそこに“現実の継承”を見ます。
実は、屋根の勾配も、平面も、細部の作法も、時代ごとに微妙に変化している。金具の使い方も、流行の影響を受けて増減してきた。
つまり「完全な複製」という言い方は、ある意味でフィクションで、実態は“悩みながらの継承”なのだといいます。
そしてこの継承の仕組みは、自然界の進化に似ていると語られます。
変異を受け入れながら、継続できるものが生き残る。職人の世代交代も同じで、「親方の通りに完コピする」のではなく、「親方はこうだったが、自分はこうしたい」という差分が必ず生まれる。そこにこそ、本来の継承があるという話が印象的でした。
数寄屋造りは“神様”じゃない:アバンギャルド精神を取り戻す
さらに話は、数寄屋造りの誤解へ。
現代では数寄屋が「日本建築の奥深い到達点」「崇拝される伝統」のように扱われがちです。しかし隈さんは、数寄屋には“批判精神”があり、当時の常識や先輩世代に対する反骨として立ち上がった側面が強いと言います。
わざと節のある細い柱を使う。一般には避ける木を使う。軽い桐を使う。
それなのに、入ってみると小さな空間が大きな宇宙に感じられる。
この「仕掛けのすごさ」にこそ価値があるのであって、形式を拝むのは違う――若い人に伝えたいのは“信仰”ではなく“実験精神”だ、という主張が鋭く刺さります。
悩みを放棄するな:建築が抱える矛盾の引き受け方
稲本さんは、建築が持つ矛盾にも触れます。
建築は多くの人に愛されるべき一方で、大きな建築はどうしても権力性を帯びる。これは誰もが抱えるジレンマです。
そこで重要なのは、「悩みを放棄しないこと」。
結論が出ないままでも矛盾を抱え続け、その中で起きる“突然変異”を受け止めて進化していく――隈さんは、建築の可能性をその態度に見ているようでした。
教育の核心は「実体験」:作ることで人は変わる
後半は教育の話題に移ります。稲本さんは教育委員会を長く務めた経験から、ICT教育と自然教育に取り組んだものの、現場が動きにくい現実を語ります。
外に出ると怪我が心配。作業をさせると事故が怖い。
その結果、体験が削られていく――この構図は建築教育にも共通します。
だからこそ稲本さんは、学生と一緒にパビリオン(小さな小屋)を作る授業を実行したと言います。
すると学生が本当に成長する。頭で考えた通りにならない出来事が起き、そこで学習が起き、人が一段大きくなる。
隈さんも強く同意し、「やってみると分かることがある」と語ります。
体験がないと、素材の性質も、作ることの本質も掴めない。実態を伴った教育を、大学だけでなく小中学校までどう広げるかは大きなテーマだと締めます。
ジャンルを越える交差点が、時代を変える
終盤では、坂本龍一さんの「モア・トゥリーズ」の話題も出ます。音楽の世界にいた人が森や木に関心を持つ―この“異分野の接点”の価値が語られました。
さらに隈さんは、昆虫や植物の関係性に触れながら、建築を「環境と身体が分断されたもの」ではなく、「自然の連続したシステム」として捉え直す必要を語ります。
虫にとって巣の材料は、環境であり身体の延長でもある。
近代的な「個人」と「外部の自然」という切り分けを超えて、建築を再定義していく――この視点は、今回のテーマ「迷いながら進化する」に綺麗につながっていました。
まとめ:日本建築は“完成品”ではなく、“進化の途中”です
この回を一言でまとめるなら、こうです。
日本建築は、正解として崇めるものではなく、悩みながら更新し続ける「進化の途中」。
そして、その姿勢は建築だけでなく、教育にも、組織にも、社会にも通じる―そんな余韻が残りました。
