| 開催日 | 2025年3月9日 |
| ゲスト | 藤森香衣さん |
| コメンテーター | 稲本 正 |
3月9日の「共生進化ネット with 稲本正」では、ゲストに藤森香衣さんを迎え、乳がんと診断された前後の体験、そしてその経験がどのように啓発活動へつながっていったのかが語られました。
この回で印象的だったのは、がんを“当事者の話”としてではなく、社会の空気や偏見、そして「誰かのために伝える」という行動の物語として語っていた点です。
「がんは年配の人の病気」だと思っていました
藤森さんは、祖母が過去にがんを患っていたこともあり、病気そのものは身近な存在だったと話します。祖父母もがんで亡くなっており、環境としては決して遠い話ではありませんでした。
それでも当時の感覚としては、「がんは高齢になってからなるもの」というイメージが強く、若い世代がなる病気だとは思っていなかったそうです。
20代の友人が突然「がんだった」と言い、数か月で亡くなった
藤森さんの心を大きく揺さぶったのは、20代の友人の出来事でした。結婚し、子どもも生まれて「よかったね」と話していた矢先、突然「がんだった」と告白されたのです。
その友人は、治療に入る前から周囲にこう伝えていたと言います。
- 検診を受けてほしい
- 若くても保険に入っておいたほうがいい
- 子どもがいるから、治して戻ってくるつもりだ
しかし、現実はあまりにも厳しく、告白から数か月後に亡くなってしまいました。藤森さんは、その事実をどう受け止めればいいのか分からないまま、言葉にならない衝撃を抱えていたと語ります。
震災が重なり、「何かしなきゃ」という気持ちが形になった
翌年には東日本大震災が起き、また「人が亡くなる」という現実に直面します。友人の死と震災が重なったことで、藤森さんの中で「何かしなければ」という思いが強くなり、「誰かのために何かをしたい」という行動へ変わっていきました。
その一つが、木をテーマにしたイベント企画でした。被災地支援や復興を考える中で、人の役に立つことを自分なりに始めた、と藤森さんは話します。
右胸のしこり。最初は「がんじゃない」と言われました
活動を続ける中で、藤森さんは右胸にしこりのような違和感を見つけます。怖さはありましたが病院へ行き、触診、マンモグラフィ、エコーと一通りの検査を受けました。
ところが最初の病院では、「がんではないと思う」と言われます。年齢が30代だったこともあり、「乳がんは40代以降がピーク」と説明され、「2〜3年経ったらまた来てください」という流れになりました。
それでも藤森さんは、どこか引っかかる感覚が残ったと言います。「良かったね」で終わらせられない違和感でした。
別の病院で細胞検査へ。結果は「がんでした」
翌年、ピンクリボン月間(10月)の啓発活動が目に入ったこともあり、藤森さんは「やはり気になる」と別の病院を受診します。そこでも最初は「がんではなさそう」と言われました。
しかし医師は藤森さんの不安を受け止め、「2年続けて受診するほど気になるなら、細胞を取って検査しましょう」と提案します。藤森さんは同意し、細胞検査を実施。1週間後、結果は「がんでした」。
ただし、発見はステージ0という非常に早い段階でした。抗がん剤などは不要で、手術のみで治療が完了したといいます。
藤森さんは「友人の出来事があったからこそ、早く見つけられた」と語りました。
「お礼が言えない」から、伝える側になろうと思った
藤森さんは、早期発見のきっかけをくれた友人にお礼が言えないことが、今も心に残っていると話します。そして、だからこそ「友人が言ってくれたことを、自分が誰かに伝えていこう」と決めたそうです。
当時は今以上に、「がん=死」というイメージが強い時代でした。加えて、仕事の世界でも「病気を公表すると仕事を失うかもしれない」という空気があったといいます。
それでも藤森さんは、公表することを選び、手術直前にブログで自ら発信しました。
「がん患者は隠すもの」その偏見を変えたかった
藤森さんは当時の社会の空気をこう振り返ります。
がんの話をすると、まるで悪いことをしたかのように扱われたり、顔出しで語る人がほとんどいなかったりした。さらには「食生活が悪かったからでは」など、偏見混じりの言葉を向けられることもあったそうです。
しかし、病気は誰かが悪いからなるわけではありません。藤森さんは「これは変えなければいけない」という思いで、啓発活動に踏み出していきます。若い患者仲間との出会いも支えになり、少しずつ発信が続いていきました。
「乳がんは9人に1人」それでも“私は大丈夫”と思ってしまう
対談の中では、数字の話も出ました。藤森さんによれば、日本の女性は乳がんが「9人に1人」という時代になっています。がん全体で見ると「生涯2人に1人」が何らかのがんになるとも言われます。
それでも多くの人は「宝くじは当たるかもしれないと思うのに、がんにはならないと思ってしまう」と藤森さんは指摘します。患者が公表しないケースが多いことで、「周りにいない」と感じてしまう構造も、問題を見えにくくしているのかもしれません。
病気は誰のせいでもない。でも、早くできることはある
藤森さんが活動を続ける理由は、本人だけではなく、家族やパートナー、友人など周囲が深く傷つく現実を知っているからです。友人を亡くした経験があるからこそ、「もっと早く」と後悔が残る怖さを、誰よりも実感しています。
病気は誰かのせいではありません。だからこそ、できることがあるなら、早めにやってほしい。検診へ行くこと、備えること、自分は大丈夫と思い込まないこと。藤森さんの言葉は、静かですが強いメッセージとして響きました。
次回は3月16日。活動が広がった背景を深掘りへ
稲本さんは、藤森さんの活動の場に多くの人が集まっていたことに触れ、「どうやってここまで広げてきたのか」を次回さらに聞いていきたいと述べました。
次回の配信は 3月16日。藤森さんの活動の広がりと、これからについての話も期待されます。
