| 開催日 | 2025年4月13日 |
| ゲスト | 山極壽一さん |
| コメンテーター | 稲本 正 |
はじめに:環境も戦争も「分けて考える」だけでは解けない
今回のテーマは、これまでの議論をさらに押し進めた「共感」と「全体で捉える視点」でした。
環境問題、戦争、そしてAIの急速な浸透──。どれも“複雑すぎて”手がつけられないように見えますが、山極さんは根っこにあるものをこう言い当てます。
「共感は、人間の最も古い力だ」
ここから話は、植物の知性、言葉以前のコミュニケーション、そして近代思想が生んだ分断と暴走へと広がっていきます。
「共感」は当たり前のはずなのに、なぜ広がらないのか
稲本さんはまず「共感を社会にどう広げるか」という課題を提示します。
宇宙にある元素─水素、酸素、炭素。
生命を作る要素も、基本的には同じ。だから私たちは本来、共感し合えるはずだ。
ただし“元素レベルの大きな話”をしても、人はすぐに共感できない。そこをどう橋渡しするのかが難しい。
この問いかけに対して山極さんは、日本の霊長類学の源流に立ち戻ります。
今西錦司の宣言:「世界は一つだから、わかり合える」
山極さんが紹介したのが、今西錦司の言葉です。
「この世界のすべてのものは一つのものから形成されている。
だから互いに理解し合える性質を持っている」
この思想は、ただの理想論ではありません。
「私たちは本質的に繋がっている」という前提があるからこそ、共感を“技術”ではなく“人間の土台”として考えられる。
そして話題は、さらに大きく、しかし意外な方向へ向かいます。
いま最も見直すべきは「植物」かもしれない
稲本さんが強調したのは、植物へのリスペクトでした。
植物は地球のバイオマスの大半を占め、動物がいなくなっても生き延びる可能性がある。
動物が酸素を吸って生きられるのも、植物がいるから。
つまり植物は、生物圏の“土台”そのものです。
山極さんもここに強く同意し、人間中心主義を超えるには、動物だけでなく
- 植物
- 菌類
- ウイルス
まで含めて、生物圏全体として考え直す必要があると語ります。
さらに興味深いのは、「植物には別の知性がある」という話です。
動く動物だけが知性を持つと思いがちですが、
植物は動かないからこそ、外界を受け入れ、瞬時に、あるいは長い時間をかけて適応する。
枝を切られても生き続ける──その生命のしぶとさは、私たちの常識を揺さぶります。
植物は「会話」している。だが人間はそれを読めなくなった
植物が虫に食べられると、信号を出して天敵を呼んだり、周囲の植物に危険を伝えたりする。
植物が放つ化学物質(例:アルファピネンなど)が、そのメッセージになっている可能性がある。
ここで山極さんが挟んだ一言が鋭い。
「人間は言葉を持ったことで、香りや微細な変化から信号を読み取る能力が落ちたのかもしれない」
言葉を得たことが進化の勝利である一方で、世界の“非言語の情報”を感じ取る力を手放してきた──。
この視点が、次のテーマへ繋がっていきます。
共感の起源は「音楽的コミュニケーション」にある
山極さんの核心はここでした。
人間が言葉を獲得したのは7万〜10万年前とされる。
しかしそれ以前から、人間は世界を感知し、互いに通じ合う力を育ててきた。
その中心が「共感」。
そして共感は、音楽的コミュニケーションから発達したというのです。
- 身体を共鳴させる
- 心が共鳴する
- 相手の感じていることを理解する
歌い、踊ることは、世界中どこにでもある。
言葉がない時代から、人々は身体を共鳴させながら“共感で繋がり”、集団で困難を超えてきた。
つまり共感は、文明の装飾ではなく、
人類が生き残るために最初に手に入れた技術だった。
人間の強さは「弱みを強みに変える」戦略だった
さらに山極さんは、人類史を貫く戦略をこう整理します。
人間はずっと「弱みを強みに変える」ことで生き延びてきた。
たとえば二足歩行。
速さや俊敏性では不利で、単体では弱い。
しかし手が自由になったことで、食物を運び、分け合い、仲間を待つ「期待」と「信頼」が生まれた。
- 食物を持ち帰ってくれると信じる
- その信頼が人と人を結ぶ
- 喜びが表現になり、踊りになる
- 共感が生まれ、社会力が強まる
弱さを補い合った結果、社会そのものが強みになった。
家族や共同保育も同じで、子どもを一人では育てられない弱みを、共同体で補ったからこそ、人間は強くなったというわけです。
でも途中から、人類は戦略を変えてしまった
問題はここからです。
山極さんは、人類がある時点から
- 弱みを強みに変える戦略
から - 強みを拡大する戦略
へ移ってしまったと言います。
産業革命以降の科学技術は、「人間の強み」をさらに強くする方向へ進んだ。
その結果、地球への負荷が増え、欲望が肥大化し、全体のバランスが崩れていく。
そしてこの流れを支えたのが、近代思想でした。
近代を作った三つの思想:分ける、改変する、戦争を肯定する
山極さんは、近代を方向づけた思想家として、デカルト以外に二人を挙げます。
- フランシス・ベーコン:自然は人間の手が入って初めて価値がある
- トマス・ホッブズ:人間の自然状態は闘争。強い権力が秩序を作る(戦争の正当化へ)
- デカルト:世界を切り分けて分析し、改造できる対象として扱う
この思想が、大航海時代、産業革命、領土拡張へと繋がった。
一方、同時代の日本は鎖国下で「限られた資源でどう生きるか」を考え、循環や節約に知恵を注いだ。
山極さんは、欧米が今もこの近代の“延長”を引きずっていると見ています。
AIは「考える主体」だが「実体がない」─その支配が進む恐怖
そして議論は現代へ一気に接続されます。
AIは、デカルト的に言えば「考える主体」になり得る。
しかし実体がない。
感情や身体という実体を持つ人間が、実体なき“思考主体”に支配されていく。
それがシンギュラリティの不安として迫っている。
さらに厄介なのは、スピードです。
- AIの浸透は加速する
- 環境悪化も加速する
- しかし人間が自分を見直して変わる速度は追いつかない
この“速度差”が、現代の危機の正体だと語られました。
じゃあ、どうする?鍵は「共感を取り戻すこと」
最後に稲本さんは、教育や社会の仕組みを通じて「共感をどう広げるか」が重要だとまとめ、次回へと繋げます。
共感は、理想論ではなく人類の根本的な生存戦略。
言葉以前から、歌と踊りで身体を共鳴させ、弱みを強みに変えてきた。
その力を、もう一度“現代の武器”として取り戻せるか。
次回(4月20日)では、そこから「これからの生き方」をさらに掘り下げる予定です。
まとめ:人類を救うのは「強さ」ではなく「共鳴」かもしれない
私たちは、強さを増やす方向へ走りすぎた。
でも本来、人類の強みは「弱さを補い合える社会力」だった。
共感は、その社会力の核。そして共感は、歌や踊りとともに、言葉よりも古くから私たちの中にある。
いま必要なのは、新しい正解を探すことよりも、
古くて確かな力─“共鳴する力”を思い出すことなのかもしれません。
