“教える”のは人間だけだった─受験より大事な“生き方”の教育と、社会を救うシルバーバックの役割

開催日2025年4月20日
ゲスト山極壽一さん
コメンテーター稲本 正

“教える”のは人間だけだった─受験より大事な「生き方」の教育

「教育は本来、人類を解放するためのもののはずなのに、むしろ縛ってしまっていないか。」
この問いは、いまの日本社会の息苦しさをそのまま言い当てているように聞こえました。

受験、偏差値、同じ教科書、同じ言語、同じカリキュラム。
けれど、山極壽一やまぎわじゅいちさんが語ったのは、もっと根源的な話です。

そもそも「教える」という行為そのものが、人間だけの特殊能力だというのです。


動物は学ぶ。でも「教えない」

ゴリラもチンパンジーも、学びます。
けれど彼らは「教えない」。子どもは勝手に学ぶ。

ところが人間は違う。親だけでなく、周囲の大人まで関わって「教える」。
この“過剰なまでの教育”は、人間の子どもの成長が長く、社会が複雑になったこととセットで発達してきたと言います。

そして山極さんは、ここで一線を引きます。

大事なのは「知識を覚える」ことではなく、「生き方を覚える」こと。

現代の教育は、知識の暗記に寄りすぎている。
「生き方」を学ぶはずの時間が、受験のために削られてしまっている—これが問題の核心だと。

“猿真似”は猿にはできない

面白かったのは、いわゆる「猿真似」という言葉の逆転です。

生後6か月くらいの人間の赤ちゃんは、周囲の表情を真似し始めます。
ところが山極さんは言います。

「猿真似は、猿にはできない。人間にしかできない。」

猿は目的が分からないと真似ようとしない。
でも人間は、目的が分からなくても“真似る”。そして真似ることで、相手の意図や感情を読み取っていく。

さらに1歳頃になると「指差し」を理解する。
何を見ているかだけでなく、何を見ようとしているか(気持ち)まで受け取る。
そして1歳半頃には、自分から指差して「これ」と伝え、知識を共有し始める。

つまり、人間の教育は「学校」以前に始まっている。
人間は、教え合う前提で育つ生き物なんだ、という話が胸に刺さりました。

25歳まで育つのは「社会で生きる脳」

もう一つ、現代の教育が見落としがちな視点がありました。

脳の大きさ自体は12〜16歳頃で成長が止まる。
でもその後も、社会的な認知能力は育ち続ける。山極さんはおおむね25歳くらいまで続くと語ります。

  • 他人が自分をどう見ているか
  • 社会の空気の中でどう振る舞うべきか
  • どうすればチームが動くか
  • どうすれば信頼が生まれるか

こうした力が育っていないと、いくら学歴があっても

  • チームワークが組めない
  • リーダーになれない
  • 国際的な場で自己提示できない

という“実戦の弱さ”が露呈してしまう。
「難関大学に入ること」は目的ではなく、社会で生きるための一部に過ぎないのに、そこが主役になってしまっている——。

教育制度は「国民国家の装置」として作られた

教育はなぜ、画一化していったのか。
山極さんは教育制度の出自を「国民国家」に置きます。

産業革命のあと、国民国家が成立し、言語を統一し、人々の目線を揃える必要があった。
そのために、同じ言語・同じ教科書・同じ内容を教える制度が作られた。

日本も明治以降、それを急速に取り入れた。
その代わりに失われたものがある。

  • 地域の産業や文化を学ぶ機会
  • 方言という“土地の感覚”
  • 地域を誇る心

そして、その延長線上にあるのが「東京一極集中」や「少子化」だという指摘は、かなり重い話でした。

不登校40万人時代、学校はすでに分岐している

一方で現実は、すでに“学校だけが教育”ではなくなっています。

  • フリースクールの増加
  • 海外パブリックスクールの進出
  • オンライン高校の拡大

そして、不登校は約40万人規模。
教壇に立って決まったカリキュラムを教える授業に耐えられない子が増えている。

山極さんは「現場が改革に抵抗する」現実にも触れつつ、教師を作る仕組みそのものを変えないと難しい、と語っていました。

暴力の起源は「共感力の向きが変わった」こと

教育の話から、さらに深いテーマへ。
山極さんの暴力観は「意外な場所」から始まります。

人類は長い間、武器もなく、協力して生き延びてきた。
共感力を高め、仲間を助ける力=社会力を発達させた。

ところが、食料生産・定住・土地の価値・所有が生まれたことで、その社会力が

肉食獣や天災ではなく、同じ人間へ向かってしまった。

戦争も暴力も、根っこは「所有」にある。
そしてそれは「共感力が別の方向へ向いた結果」だという視点は、かなり強烈でした。

そして鍵は「縁側」と「老年期」だった

終盤、山極さんの話は日本文化の“あわい”へ向かいます。

山と里の間に「里山」
海と陸の間に「里海」
此岸と彼岸の間に「川」
境界にこそ、世界をつなぐ場所がある。

そして象徴として挙げられたのが縁側でした。

縁側は、社会の競争から少し外れた場所。
お茶を飲み、将棋を指し、世間話をする。
ここには「遊び」や「風流」という、人生をほどく力がある。

さらに山極さんは、人間の長い老年期の意味をこう捉えます。

老年期とは、地位や権力から降りて、
次の世代を導き、視点を変える知恵を渡すための時期。

ここで出てくる比喩が、あまりにも良い。

「シルバーバックになる」
—ゴリラの群れを落ち着かせ、子どもを守り、争いを止める存在。

中学生の危機を救うのは、親ではなく「高齢者」かもしれない

印象的だったのは、中学生の自殺率の話です。
反抗期の子にとって、親の言葉は届きにくい。
ギラギラした大人より、力を抜いた高齢者のほうが近づきやすい。

文字のない社会では、高齢者が「経験のストック」でトラブルを解決してきた。
勝ち負け以外の道を示す。
それが「知識」ではなく「知恵」だと。

いま必要なのは、この“知恵の回路”を社会に戻すことなのかもしれません。


まとめ:受験より先に、取り戻すべき教育がある

この回の話を一言でまとめるなら、こうです。

  • 教育は知識の暗記ではなく「生き方」を学ぶもの
  • 人間は“教え合う”前提で進化してきた
  • 社会を救う鍵は、共感と、境界(縁側)と、老年期の知恵にある

「教育改革」というと制度やカリキュラムの話になりがちですが、山極さんの話は、もっと深いところ—人間とは何かに降りていきます。

私たちは、どこで間違えたのか。
そして、どこへ戻れるのか。

そのヒントは案外、縁側みたいな“間の場所”にあるのかもしれません。