| 開催日 | 2025年9月14日 |
| ゲスト | レイ・イナモトさん |
| 司会 | 原田 伸介 |
| コメンテーター | 稲本 正 |
このシリーズ第3回では、レイ・イナモトさんが大学を卒業し、社会に踏み出してから直面した“3つの壁”を中心に、キャリアのターニングポイントを振り返ります。
山奥の幼少期、スイス留学、アメリカ大学という多様性の場を経て、いよいよ“世界で働く”現場へ。
しかし、そのスタートは順風満帆とは程遠いものでした。
1. 最初の壁:就職できない―9ヶ月の暗闇
ミシガン大学で美術とコンピューターサイエンスを学び、“デザイン×テクノロジー”という希少なスキルを持っていたレイさん。
景気も悪くなく、学生の多くが順調に内定を得ていく時代でした。
そんな中、まず参加したのが「ボストンキャリアフォーラム」。
ここで、名門コンサル企業から内定を獲得します。
ところが──。
「歓迎ディナーに参加した瞬間、あ、自分はこの文化の中の“人種”ではない、と感じたんです」
違和感を優先し、内定を辞退。
ここからの9ヶ月、仕事は一切決まらなかった。
毎週何十通も履歴書を送り、返信はほぼゼロ。
オンラインポートフォリオも普及前だったため、紙の作品集を抱えて訪問を繰り返す日々。
精神的な負担は大きく、真っ暗な中を手探りで歩くような時間だったと言います。
状況を変えたのは、周囲のひと言。
「デザインできて、コードも書ける。その希少性をもっと前に出せば?」
この助言を受け、Webポートフォリオを自作。
それが突破口となり、ようやく採用へとつながりました。
2. 第二の壁:網膜損傷で半年間の離脱 ―「デザイナーを辞めるかもしれない」
就職して2年目。サッカーの試合中に網膜を損傷。
4度の手術、半年を超える離職。
回復のために“下を向き続ける姿勢を保たなければならない”ほどの難しい治療だったと言います。
「24歳、仕事も上手くいかない時期に視野まで失う。本当に、心が折れそうだった」
デザイナーとしてのキャリア継続すら危ぶまれる状況。
精神的にも大きな打撃でした。
3. 第三の壁:大失敗のプレゼン ―「履歴書、見せてくれ」
ようやく仕事に復帰した25〜26歳頃、重要なクライアントプレゼンで大きな失敗を経験します。
終了後、同じチームの先輩がクライアントにこう言われるのを耳にしました。
「彼の履歴書、見せてくれ。あまりにもレベルが低い」
屈辱的な瞬間。しかし、この出来事が精神的な強さにつながったと語ります。
4. 名門 R/GA での5年間 ―映画『スーパーマン』ロゴを作った会社へ
最初に勤めたのは、映画『スーパーマン』のロゴ制作で名高い R/GA。
映像×デザイン×テクノロジーの融合を武器に成長した同社は、当時すでに業界のトップランナーでした。
ここで稲本さんの才能は、創業者ボブ・グリーンバーグ氏の目に留まり、数多くのチャンスを得ます。
5. 無名だった AKQA へ移籍 ―「有名企業より“伸びる余地”を選ぶ」
2005年前後、無名に近かった“AKQA(AK)”から声がかかります。
大手有名エージェンシーからのオファーも多数あった中、
あえて無名のAKを選んだ理由は明確でした。
「有名企業は、僕がいなくても成立している。自分が力になれる場所に行くべきだと思った」
実際、AKQAはここから急成長。
レイさんを含むメンバーの加入を機に、10倍規模へ拡大するほどの伸びを見せます。
6. “R/GAとの対決”に勝ち続ける ―成長の象徴
象徴的な出来事があります。
コカ・コーラ競合案件で、AKQAとR/GAが同時にコンペへ参加。
無名のAKQAが、名門R/GAに勝利したのです。
「結局10年間、R/GAとのピッチで負けたことがない」
その後、両社の関係は険悪化し、共通クライアントが仲裁に入り
「お互い採用し合うな」
という協定まで結ばれるほどでした。
「クリエイティブの仕事は“会社”ではなく“人”についてくる」
この言葉は、多くのクリエイターにとって真理でもあります。
7. 安定ではなく“足跡が残る道”を選ぶ ――独立へ
AKQAで10年。実績も名声も手に入れた後、レイさんは独立を選びます。
理由は2つ。
● ① ビジネス的理由:
マーケティング業界は変化の波に対応できなければ衰退する。
「社会の変化に合わせ、自分の正しいと思う方向へ進みたい」
● ② 個人的理由:
GoogleやAppleからの高額オファーもあった中での決断。
「80歳になった時、“会社員としての成功”だけで精神的に満たされるだろうか?」
遠藤周作の言葉
「歩きやすい舗道ではなく、足跡が残る砂浜を歩け」
が胸に残ったと言います。
「失敗してもいい。自分の力を試したいと思った」
そして、独立へ。
8. “日本人らしさ”を武器にしなかった理由
海外では常に“日本人”として見られます。
しかし20代〜30代のレイさんは、意識的にそのアイデンティティを使わないようにしていました。
「日本人だから評価されるのではなく、クリエイターとして評価されたい」
大谷翔平が“日本人だから”すごいのではなく、“野球選手として”優れているのと同じだ、と。
次回予告:ユニクロ「PEACE FOR ALL」、そして“世界と向き合う”
次回は、
独立後、最初のクライアントとなったユニクロからの依頼
そして
PEACE FOR ALL プロジェクトの舞台裏
さらに
世界とどう向き合っていくのか
についてお話を伺います。
シリーズはいよいよ核心へ。
