耳をひらき、感性を取り戻す──岡倉天心『茶の本』から考える、日本文化の未来

開催日2025年10月26日
司会原田 伸介
コメンテーター稲本 正
エバレット・ケネディ・ブラウン

共生進化ネット「茶の本」シリーズもついに第4回。
今回は、実際にお茶を味わった体験をふまえながら、3人で「日本文化の未来」について語り合いました。

テーマは 「面影を掘り起こす」
岡倉天心が残した思想を手がかりに、“今”の私たちにとって文化とは何かを改めて見つめ直す時間となりました。


文化を学び直す入口は「耳」──聴覚が開く日本文化の世界

今回まず話題になったのは、写真家・エバレットさんが重視する「聴覚」の力です。

茶の湯の世界には、湯が沸く音、畳を歩く音、茶杓ちゃしゃくが触れる音など、
“音がつくり出す情緒” が深く息づいています。

エバレットさんは、ある撮影経験を通じてその重要性に気づき、今回の茶会にも“音”の演出を取り入れました。
現代はスマートフォンやPCによって目を酷使する生活ですが、文化を学び直すうえでは 目ではなく耳から入る感性 が大きなヒントになると言います。

文豪たちが求めた「静けさ」──耳の文化の名残

作家・谷崎潤一郎たにざきじゅんいちろうは、かつてラジオの騒音を嫌って郊外へ移り住んだと言われています。
夏は窓を開けるため、近隣のラジオ音が家々から響き、それに耐えられなかったのです。

江戸から明治にかけて、
日本文化の中核には“静寂”があり、耳で感じる世界が当たり前だった という背景があります。

今回の話は、そんな「耳の文化」復権への手がかりにも感じられました。

視野を広げる鍵は“目の脇”にある?

──視覚と聴覚が交差する場所=感性の源

エバレットさんが特に強調したのは、
“視野の脇”に感性のポイントがある という話。

スマホ画面に視野が固定される日々の中、私たちの視野は極端に狭まっています。
しかし、視野の端には視覚と聴覚が重なり合う領域があり、ここが直感や感性と深くつながっているといいます。

「写真を撮るとき、視野の端から被写体が“飛び込んでくる”ことがある。
それが俯瞰ふかん的な感覚につながっているんです。」

茶や芸術の世界が“広い視野”を育てると言われるのも、こうした身体感覚と無関係ではないのかもしれません。

仏教文化と音──読むよりも“感じる”ことが本質

仏教には木魚もくぎょをはじめ、さまざまな「音の道具」があります。
印刷技術が広まる前、人々は本を読むよりも“耳で聞く”ことで文化を受け取っていました。

そのため、仏教の教えは本来、

読むものではなく、感じるもの。
言葉ではなく、気配や音によって心にしみ込むもの。

エバレットさんは近年、
「仏教を“読む”ことに偏り過ぎてきたのでは?」
と考えるようになったと言います。

文化は頭で理解するだけでなく、五感──いや、多感覚で受け取るべきなのです。

実は“五感”ではなかった?

最新の脳科学が示す「22の感覚」

学校では「五感」と習いますが、最新の研究では 人間には22以上の感覚がある とされています。

例として、

  • 時間の伸び縮みを感じる感覚
  • 身体の位置を把握する感覚
  • 温泉に入ると時間がゆっくり流れる感覚
  • 忙しいと時間が早く感じる心的時間
  • など、私たちは多彩な“身体の声”で世界を認識しています。

しかし現代の生活は、その豊かな感覚の多くを使わなくなっているのも事実です。


まとめ:耳を澄ませ、視野を広げ、感性を開く

今回の対話では、聴覚・視覚・感性といった「身体の入口」から日本文化を再発見するヒントが語られました。

岡倉天心が『茶の本』で示したように、自然の音、静寂、空間の気配を通して世界を感じることこそが、文化の本質なのかもしれません。

スマホの画面に閉じず、耳をひらき、視野を広げ、感性を取り戻す。

そんな行為ひとつひとつが、私たちの文化を未来へつなぐ力になる。
今回のセッションは、そのことを改めて思い出させてくれる時間でした。