| 開催日 | 2025年12月14日 |
| ゲスト | 西村 真里子さん |
| コメンテーター | 稲本 正 |
大阪・関西万博、そして日本芸術祭。
その流れの中で生まれた一つの試みが「お茶」と「栗」を通じて、日本の文化と未来を見つめ直す場でした。
今回は「共生進化ネット」第3回として西村真里子さんをゲストに迎え、日本の食文化、和栗協議会の取り組み、そして“茶事”という日本独自のフォーマットが持つ可能性について語り合いました。
西村真里子さんと「茶事」への関わり
今回の企画で、西村真里子さんはお茶を点てる立場ではなく、
茶事の企画・ファシリテーション という役割で関わっています。
「茶事」とは、単なるお茶会ではありません。
同じ空間で、同じお茶を飲み、掛け軸を眺めながら、静かな集中の中で対話を行う、日本独自の文化的フォーマットです。
大阪・関西万博の関連企画として行われた日本芸術祭の中で、この茶事が「未来を考える場」として実験的に用いられました。
和栗協議会とは何か
西村さんが関わっている「和栗協議会」は、
浜松の老舗菓子店・春華堂(うなぎパイで有名)を中心に立ち上げられたコンソーシアムです。
春華堂は、実は和菓子をルーツに持つ企業。
和菓子に欠かせない素材の一つが「栗」です。
しかし、長年使われてきた掛川栗は、コロナ以降、担い手不足によって収穫量が減少するという課題に直面しました。
「別の産地から仕入れればいい」という選択肢もあります。
けれど、それは本当に“地域に愛される菓子づくり”と言えるのか。
その問いから生まれたのが、和栗協議会でした。
栗を“未来につなぐ”ための取り組み
和栗協議会では、単に栗を守るのではなく、
栗の価値を多角的に高める ことに取り組んでいます。
さらに、抹茶が「MATCHA」として世界に広がったように、「和栗」を世界へ発信する動きも進められています。
栗と日本人の深い関係
話は、日本人と栗の歴史へと広がっていきました。
考古学的・遺伝子研究によって、
縄文時代の三内丸山遺跡では、栗が人工的に栽培されていたことが明らかになっています。
つまり、日本人は少なくとも5000年以上前から、栗を“育て、利用する作物”として扱ってきたのです。
当時の巨大建築に使われていたのも栗の木。
日本文明は未熟だったのではなく、自然と共生する高度な知恵を持っていたことがうかがえます。
「日本人=米」という思い込み
私たちは「日本人は米を主食としてきた」と思いがちです。
しかし実際には、栗や木の実、どんぐり、魚、雑穀など、非常に多様な食文化を持っていました。
江戸時代には、米は半ば“通貨”のような存在で、農民自身はあまり口にしていなかったとも言われています。
近年、米不足が話題になりますが、視点を変えれば、日本は本来とても強い食文化を持っているのです。
コルシカ島との文化交流
和栗協議会の活動は、海外にも届いています。
フランス領コルシカ島は「栗の島」とも呼ばれ、栗は人々の食文化やアイデンティティの中心にあります。
栗粉を使ったパン、栗のビールなど、あらゆる形で栗を生かす文化が根づいています。
こうした背景から、コルシカ大学の研究者が日本の和栗協議会に関心を持ち、交流が生まれました。
現地では、800年続く栗の木の下で、歌を通じた文化交流も行われました。
茶事という「未来を考える場」
今回の大きなテーマの一つが、茶事というフォーマットの可能性 です。
茶事は、戦国時代には重要な意思決定の場でもありました。
織田信長や豊臣秀吉も、お茶の場を活用していたと言われています。
今回の茶事では、政治、アート、映画、モビリティなど12のテーマを設定。
セミナーではなく、茶事という形で対話を行いました。
結果として、短時間にもかかわらず、非常に密度の高い議論が生まれたといいます。
同じ空間、同じお茶、同じ体験。
その共有が、対話の質を大きく高めていました。
伝統と革新をつなぐために
古い形式を守るだけでもなく、すべてを壊すわけでもない。
伝統を理解した上で、あえて崩し、再構築する。
茶事、栗、食文化。
それらを横(世界)と縦(歴史)につなぎ直すことで、日本文化はもっと自由に、もっと強く広がっていくはずです。
次回は、「お茶」というテーマをさらに深く掘り下げていきます。
