坂本龍一とYMOの舞台裏―ピーター・バラカン氏が語る“あの時代”のリアル

開催日2026年1月18日
ゲストピーター・バラカンさん
コメンテーター稲本 正

今回の対談はピーター・バラカンさんが日本でラジオの仕事を始めた頃の話から、ビートルズが社会ごと変えてしまった“現象”の正体、そして「ライブが持つ力」まで、音楽の核心に触れる回となりました。

イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)、坂本龍一、大島渚。
日本の音楽と映画史に名を刻む人物たちの“裏側”を、音楽評論家ピーター・バラカンさんが語ってくれました。


日本に来たばかりの頃、バラカンはYMOの事務所へ

ピーター・バラカンさんが日本に来た当初、所属したのは「ヨロシタ・ミュージック」という小さな音楽事務所。
この事務所は、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のマネジメントを担当していました。

社長の小倉浩さんは、個性的で面白い人物。
坂の途中にある事務所で、音楽への情熱を持って活動していたそうです。

バラカンさんは前職を辞めた後、この事務所に拾われる形で働き始めました。

『戦場のメリークリスマス』撮影現場の舞台裏

バラカンさんは、大島渚監督の映画
**『戦場のメリークリスマス』**の撮影にも同行しています。

南太平洋のラロトンガ島に約1か月半滞在し、坂本龍一さんのサポート役を担当。
主な仕事は、坂本さんが朝食を食べたか確認し、車で撮影現場まで送り届けることでした。

現場には多くのスタッフがいたため、実務的な負担は少なかったそうです。
ただし、通訳は1人しかおらず、人手不足の中でさまざまな仕事を任されることに。

「何でもやります」と申し出た結果、毎日違う役割を任されることになり、
それがとても刺激的な経験だったと振り返ります。

坂本龍一は“俳優志望”ではなかった

坂本龍一さんは、もともと俳優になりたかったわけではありません。
映画出演の条件はただひとつ――

「音楽を担当させてほしい」

大島監督は本当はデヴィッド・ボウイに出演してほしかったそうですが、
結果的に坂本さんの起用は大成功だったと、バラカンさんは語ります。

特に映画のテーマ曲は、今でも坂本作品の中で一番好きな楽曲のひとつだそうです。


数秒で名曲を生む“ひらめきの天才”

坂本龍一さんは、CM音楽の制作も数多く手がけていました。
わずか数秒で印象に残るメロディを思いつく才能は、まさに天才的。

ある日、都内でタクシーに乗っていた時、
坂本さんが5cmほどの小さなノートに次々とアイデアを書き留めている姿を見て、
そのひらめきの速さに驚いたといいます。

音楽は「降りてくる」もの。
夢や一瞬のインスピレーションから生まれる――そんな作曲家らしい姿でした。

YMOは“海外で売れた”わけではなかった?

YMOは「海外で先に評価された」というイメージがありますが、
実際はレコード会社の戦略による部分が大きかったそうです。

海外ツアーは行ったものの、現地で爆発的にヒットしたわけではありません。
しかし「海外で評価された」という宣伝が、日本での人気につながったのです。

当時としてはあまりにも革新的な音楽だったため、
世界が受け入れる準備はまだ整っていませんでした。

今、世界で再評価される日本の音楽

現在では、70〜80年代の日本の音楽、いわゆるシティポップが世界中で再評価されています。

そのきっかけは、アニメや漫画。
日本文化への関心が高まり、音楽にも注目が集まったのです。

YMOの音楽には、現実から少し離れた“別世界”のような雰囲気があります。
「マジック・オーケストラ」という名前も、その世界観を象徴しているように感じます。

社会に向き合い続けた坂本龍一

坂本龍一さんは、音楽だけでなく社会問題にも積極的に発言していました。
環境問題、平和、政治――影響力のある立場で、責任ある言葉を発信し続けた数少ない存在です。

日本では、こうした姿勢を貫く著名人は非常に珍しいとバラカンさんは語ります。

坂本さんの死は、音楽的にも社会的にも大きな損失でした。
ジョン・レノンのように、リスクを背負ってでも声を上げる人は、
どの時代にも必要だと強調します。

音楽と環境、そして未来へ

坂本さんは環境問題にも強い関心を持ち、
稲本さんが行っていた森林保全や木工活動にも共感していました。

日本には使われずに余っている杉の木が多く、
「切って、使うことで森を守る」という考え方にも賛同していたそうです。

音楽と社会、環境と文化――
坂本龍一という存在は、すべてをつなぐ“架け橋”だったのかもしれません。

次回は「音楽と世界情勢」

次回の対談では、
音楽と世界の動きについて、さらに深く語られる予定です。

どんな話が飛び出すのか、ご期待ください!