| 開催日 | 2025年10月5日 |
| 司会 | 原田 伸介 |
| コメンテーター | 稲本 正 |
歩く、感じる、つなぐ。サスティナブル・トラベル・KAIDO街道・内藤新宿編
日本各地には、古くから人や文化をつないできた「街道」があります。
北海道を除く全国でおよそ1万5000km。その沿線には、時代の記憶や職人の技、そして地域の誇りが今も息づいています。
今回ご紹介するのは、共生進化ネットの稲本正氏と手仕事組ユニットで原田氏が取り組む「サスティナブルトラベルKAIDO街道」という試み。
東海道の有松宿では藍染め、美濃街道では美濃和紙と五節句、伊勢街道では“御師”という究極のツアーコンダクターをテーマに、いにしえから残る日本の根の深い文化を再編集してきた二人が、次に焦点を当てたのは甲州街道・内藤新宿です。

ここで彼らは、岡倉天心の名著『茶の本』を手がかりに、日本の茶文化と精神を現代に照らし合わせながら、“天心の心”を追体験する旅へと出ます。
全4回シリーズで構成され、第1回は内藤新宿の歴史探訪と街歩き、第2回は新宿柿傳の茶室「残月」での茶会、第3回は奈良高山の茶筅師・谷村丹後さんによる実演、そして最終回では日本文化の未来を語る座談会が予定されています。
動画の中では、甲州街道がもつ軍事と文化という二つの側面、玉川上水が果たした水と暮らしの役割など、普段見過ごしてしまう歴史の層にも光が当てられています。
ただの“街歩き”では終わらない、文化を未来へとつなぐための新しい旅の形。
その一歩を、内藤新宿からご一緒にたどってみましょう。
サスティナブル・トラベル・KAIDO街道とは?
「サスティナブル・トラベル・KAIDO街道」というテーマのもと、稲本正氏と原田氏が語るのは“旅の再定義”です。
日本には北海道を除いておよそ1万5000kmにおよぶ街道があり、その道すじには、今も地域ごとの文化・風習・工芸・食や暮らしの知恵が静かに息づいています。
原田氏は、こうした街道文化を掘り起こしながら、日本人の感性と職人たちの技を結びつけることで、新しい旅のかたち——「文化のお遍路」を生み出そうとしていると話します。
それは単なる観光ではなく、文化の継承と再発見を目的とした“心の旅”でもあります。
一方で稲本氏は、海外から訪れる人々が今、京都や江戸といった有名な都市だけでなく、もっと深く「日本の本質」に触れられる場所を求めていることを指摘します。
そんな時代だからこそ、古くから人と人を結んできた“街道”が、サスティナブルな観光の舞台として再び輝きを放とうとしているのです。
これまでの文化再現プロジェクト
原田氏と稲本氏がこれまで歩んできた道には、いくつもの“文化の再生”があります。
たとえば東海道の有松宿では、古来の藍染めを軸に、町並みや人々の営みをもう一度よみがえらせる試み「文化の”再現”」を。
美濃街道では、美濃和紙の繊細な美しさと、五節句という年中行事の知恵を掛け合わせ工芸遊山と銘打ち、地域の「文化を“編集”」し直しました。
そして伊勢参宮街道では、現存する「御師」と呼ばれる究極のツアーコンダクターを招き、香道などの文化サロンを体験するテーマで文化大香流を開催、いにしえの「文化の”追体験”」を現代に蘇らせました。
ただ案内するのではなく、お香を嗅ぎ、御師のおもてなしの食を味わい、物語を共有する——その体験自体がひとつの“文化”であるという考え方です。
稲本氏もその活動に加わり、共に過ごす時間の中で「文化とは、知識ではなく思い出として残るものだ」と実感したと語ります。
人と人が交わり、過去と現在が重なり合う。そうした瞬間こそ、彼らが描く“サスティナブルな旅”の原点なのです。
今回の「茶の本」プロジェクトの概要
今回の舞台は、甲州街道・内藤新宿。
ここで原田氏が手がけるのは、岡倉天心の名著『茶の本』を手がかりに、天心の思想を“旅”として追体験するプロジェクトです。
稲本正氏をはじめ、写真家のエバレット・ブラウン氏、茶道の永江宗杏氏、そして茶筅師の谷村丹後氏。
この三人のアーティストを中心に、原田氏がナビゲーターとして物語を紡いでいきます。

エバレット・ブラウン

永江宗杏

谷村丹後
稲本氏は、『茶の本』が岡倉天心によって英語で書かれたという特異な背景に触れます。
それは、日本人にではなく、西洋の人々に“日本の美意識”を伝えるための書だったのです。
原田氏は、天心が太平洋を望む岩壁の上に建てた六角堂「観瀾亭」で筆を執り、日本の茨城市・五浦とアメリカ・ボストンという対照的な二つの世界を往来しながら執筆したことを紹介します。
このプロジェクトは、単なる文学解釈ではありません。
時を越えて、天心が見た“東と西のあいだ”を歩き直す試み。
街道という舞台に、思想と芸術、そしてお茶の心が静かに交差していくのです。
4回シリーズの構成
今回の「茶の本」プロジェクトは、全4回にわたって展開されます。
一つひとつの回が独立した体験でありながら、通して見ると“茶のこころ”をめぐる物語としてつながっていきます。
第1回 内藤新宿を歩く ― 江戸甲州街道の入り口に残る記憶
江戸最初の宿場町として栄えた内藤新宿。
甲州街道を起点に、軍事と文化が交錯した江戸の姿、そして現在も残る街の面影をたどります。
第2回 茶室「残月」にて ― 一服に宿る美意識
新宿・柿傳の茶室「残月」で、稲本氏と原田氏が“茶の本”の精神を体感するひととき。
お茶を点てる所作の中に、天心の思想と日本人の感性が静かに浮かび上がります。
第3回 高山の茶筅師・谷村丹後氏 ― 手仕事がつなぐ伝統
飛騨高山で数少ない茶筅師として活動する谷村丹後氏による実演。
竹一本から生まれる繊細な茶筅の世界に、文化を受け継ぐ“手の記憶”が宿ります。
第4回 座談会 ― 日本文化の未来を語る
最終回では、これまでの旅を振り返りながら、日本文化のこれからについて語り合う座談会を開催。
過去と現在、そして未来をつなぐ“文化の道”として、サステイナブルトラベルKAIDO街道の可能性を探ります。
稲本氏はそれぞれの回の背景や狙いを補足しながら、「お茶を通して日本文化の“再発見”を試みる4章の旅」として、このシリーズを紹介しました。
甲州街道と内藤新宿の歴史的背景
シリーズ第1回の舞台となるのが、甲州街道・内藤新宿です。
ここには、江戸という都市の“入り口”としての機能と、文化を運ぶ“道”としての顔が共存していました。



稲本氏と原田氏によると、江戸時代の街道網は単なる交通路ではなく、戦略的な意味を持って設計されていました。
東海道は品川で、甲州街道と中山道は内藤新宿で、そして日光街道は北千住で一度止められていたのだそうです。
それは、江戸城を守るための軍事的な配置。
万一の際には、将軍を甲州街道から逃がすための“防衛の道”でもありました。
しかし、この甲州街道にはもう一つの側面がありました。
それが、宇治から茶を運ぶ「茶壺街道」としての文化的役割です。
その年摘まれた新茶は、丁寧に茶壺に詰められ、夏のあいだ涼しい高地で静かに熟成されたのち、江戸へと運ばれました。
ひとつの道に、武と文、機能と風雅が共存していた。
その二面性こそ、江戸の街と人々の暮らしを支えた“街道文化”の象徴なのかもしれません。
内藤新宿の現在と歴史
かつて江戸城の西の玄関口として栄えた内藤新宿。
甲州街道はここから上野原犬目宿や大月を経て、山梨・信州方面へと続いていました。
稲本氏は、この道が単なる通りではなく、“江戸と地方を結ぶ生命線”だったことを語ります。
現在の新宿御苑一帯は、もともと内藤藩の屋敷地でした。
やがてこの地は天皇に献上され、さらに国民の憩いの場として開放されていきます。
今では四季折々の自然を楽しめる都会のオアシスとして知られていますが、その成り立ちは、まさに江戸の延長線上にあるのです。
古地図を広げてみると、当時の面影は今も随所に残っています。
追分けや四谷大木戸門といった地名はそのまま残り、道の流れも大きくは変わっていません。
新宿区立新宿歴史博物館や歴史博物館には、江戸時代の新宿を描いた浮世絵も多く展示され、旅人が最後に立ち寄る宿場町としての賑わいを今に伝えています。
過去の記憶と現在の街並みが静かに重なり合う場所。
そこに立つと、時を越えて人々の往来が聞こえてくるようです。
玉川上水の重要性と現在
原田氏は、内藤新宿を語る上で欠かせないもう一つの存在として「玉川上水」を挙げます。
この地にはかつて、その取水口がありました。
稲本氏によれば、玉川上水は現在の東京都・羽村(旧横田)付近から水を引き、
地形の高い場所を巧みに利用して江戸の町へと流していました。
江戸の人々の暮らしを支えた“命の水路”とも呼べる存在です。
興味深いのは、その両岸に植えられた桜の木々。
桜は単なる観賞用ではなく、水質を守るための“天然のセンサー”でもありました。
水が汚れると桜が枯れる——それが人々への静かな警鐘となり、誰もが自然を汚さないという良識を共有していたといいます。
桜が江戸の象徴の花として愛されたのも、こうした背景があったのかもしれません。
この上水を造ったのは、玉川兄弟という二人の人物。
1653年徳川家光の命を受け、わずか8か月の期間でこの大工事を成し遂げたと伝えられています。
彼らの手によって、江戸は清らかな水を得て、都市としての命を保ち続けました。
いまも四谷三丁目の近くには石碑が残り、新宿御苑の周辺では、地下に潜る前の水路の痕跡を見ることができます。
水の流れとともに、先人たちの知恵と誇りもまた、この街に脈々と流れ続けているのです。
新宿御苑の歴史と現在
原田氏は、内藤新宿や玉川上水の痕跡をたどる上で、「新宿御苑ほどふさわしい場所はない」と語ります。
この地は、かつて浄水の起点であり、江戸の生命線を支えた場所でもありました。
案内の集合地点となったのは、新宿御苑前駅から少し歩いた先にある大木戸門。
江戸時代には水の管理を行っていた大木戸の名残をとどめる場所で、まさに過去と現在が交差する入り口です。
稲本氏は、新宿御苑が持つ壮大な時間の層を静かに語ります。
ここはもともと内藤家の屋敷地であり、明治維新を経て政府の所有となり、さらに時を経て、国民のために開かれた公園へと姿を変えました。
四季の花々が咲き誇り、都会の喧騒を離れて人々が憩うその風景には、かつて江戸の人々が大切にした“自然とともに生きる心”が今も息づいています。
新宿御苑を歩くことは、単に美しい庭園を巡るのではなく、日本の文化と精神の変遷を体感する旅でもあるのです。
