なぜ日本人は“語る力”を失ったのか~講談に学ぶ、伝えるための日本語~

開催日2025年7月6日
ゲスト神田香織さん
コメンテーター稲本 正

共生進化ネットでお届けする講談師・神田香織さんとの対談、第二回では話題が大きく広がります。
今回は講談そのものの解説というよりも、「思想」「戦争体験」「学問のあり方」「教育」、そしてそれらをどう語り、どう伝えるのかという点に焦点が当てられました。

出会いが人生を変える——武谷三男という存在

対談の冒頭では、稲本氏の学生時代の話から始まります。
立教大学に進学した理由の一つが、物理学者・武谷三男たけたにみつお氏の存在でした。

武谷氏は、物理学の世界において理論だけでなく、思想や社会との関わりを重視した人物です。
学生だった稲本氏が大胆な問いを投げかけても、頭ごなしに否定することなく受け止め、対話を続けたその姿勢は、強く印象に残っていると語られました。

この「鋭さと柔らかさを併せ持つ知性」は、学問とは何かを考える上で、今なお示唆に富んでいます。

戦争体験が刻んだ記憶

話題は次第に、戦争の記憶へと移っていきます。
稲本氏の父親は、シベリア抑留を経験した医師でした。

終戦後も続いた過酷な状況、帰国後に待っていた疑念と監視、そして心に刻まれた深いトラウマ。
戦争は終わった瞬間にすべてが終わるわけではなく、その後の人生に長く影を落とし続けるものだということが、静かに語られます。

神田さんもまた、こうした「語られにくい体験」をどう次世代に伝えていくかが、今まさに問われていると受け止めています。

原爆は「実験」だったのか

対談の中盤では、原爆投下をめぐる厳しい指摘もなされました。
当時の研究者たちは、その破壊力を完全には把握していなかった。
それでも投下が行われたという事実は、「人間を使った実験だったのではないか」という問いを避けて通れません。

これは感情論ではなく、科学と倫理の問題です。
科学が政治や権力と結びついたとき、何が起こるのか。その問いは、現在の社会にも重くのしかかっています。

学問とお金、そして政治

学問の世界において、研究資金と発言の自由は切り離せない問題です。
稲本氏は、研究データが「安全側」だけ切り取られ、危険性が見えなくなっていく構造を実体験として語ります。

「お金を出す側が口を出さない」という原則が崩れたとき、学問は本来の役割を失ってしまう。
武谷三男氏も、生前この点を強く危惧していたといいます。

これは原子力だけの問題ではなく、あらゆる分野に通じる話です。

教育の問題は「考えさせないこと」

議論は、現代の教育へと続きます。
「正解のある問題を解くこと」に偏りすぎていないか。
予定通りに進む世界を前提にした教育が、複雑で不確実な現実に対応できる人を育てているのか。

稲本氏は、教育委員会での経験を踏まえ、「教壇に立つ教師中心の授業」そのものを問い直す必要があると指摘します。
輪になって議論し、考え、発信する。その場に教師も加わる。
そうした学びの形こそが、これから求められているのではないでしょうか。

講談教室が示す、もう一つの教育モデル

神田さんが19年間続けてきた講談教室の話は、まさにその実践例です。
生徒たちは自ら題材を掘り起こし、新作を作り、互いに意見を交わしながら作品を磨いていきます。

年齢や立場に関係なく、教え合い、学び合う。
それは江戸時代の寺子屋にも通じる姿であり、競争ではなく「関係性」の中で育つ学びです。

講談は、単なる芸能ではなく、事実を調べ、考え、語るための総合的な訓練でもあります。

声に確信が宿るとき

神田さんは、「同じ言葉でも、確信を持って語るかどうかで伝わり方はまったく違う」と語ります。
読んで考え、自分の中で咀嚼そしゃくし、それを自分の声で発信する。
その積み重ねが、人を育て、社会を変える力になるのです。

戦後80年に向けて—語り継ぐ責任

対談の終盤では、戦後80年に向けた講談会の告知が行われました。
被爆やシベリア抑留をテーマにした講談、そして実体験を語る特別企画。

体験者が少なくなる今だからこそ、「語り」によって疑似体験し、考える場をつくることが重要です。
戦争のない世界を願うなら、まず知り、考え、声に出すことから始めなければなりません。

次回に向けて

次回の共生進化ネットでは、講談の世界をさらに深く掘り下げるとともに、神田香織さんと稲本さんの意外な縁についても語られる予定です。

日本の伝統文化である講談が、現代においてどのような意味を持つのか。
その可能性を感じていただければ幸いです。