| 開催日 | 2025年7月13日 |
| ゲスト | 神田香織さん |
| コメンテーター | 稲本 正 |
戦後80年が近づく現在、戦争はどこか「過去の出来事」として語られがちです。しかし、講談師・神田香織さんは長年にわたり、『はだしのゲン』を講談として語り続けてきました。
今回はその原点と、語り続ける理由についてお話を伺いました。
偶然の体験が、戦争を語る覚悟に
神田さんが戦争をテーマにした講談に向き合うようになったきっかけは、決して最初から強い使命感があったわけではありませんでした。
前座修行を終え、二ツ目として活動を始めた頃、友人と訪れた海外の地で、かつて大量虐殺が行われた断崖を目にします。美しい海と空、穏やかな風が吹くその場所で、「ここで多くの人が命を奪われた」という事実に直面し、強い違和感を覚えたといいます。
ちょうどその頃、二ツ目になると自分で演目のテーマを選べるようになります。
「戦争をテーマにした講談を一つ持ちたい」
そう考えた神田さんは、広島や長崎、沖縄、東京大空襲などについて、約1年をかけて学び続けました。
しかし、あまりにも重く暗い現実を知るうちに「これは自分には語れないのではないか」と感じるほど、心が追い込まれていったそうです。
原爆資料館で出会い直した『はだしのゲン』
転機となったのは、広島の原爆資料館の売店でした。そこで偶然目にしたのが『はだしのゲン』です。
少年時代に『週刊少年ジャンプ』で読んだ記憶があり、改めて読み返すと、原爆の悲惨さだけでなく、9歳の少年が極限状況の中でも懸命に生き抜こうとする姿に、強い生命力を感じたといいます。
「これなら語れる」
そう確信し、原作者・中沢啓治さんの許可を得て、1986年8月に『はだしのゲン』の講談化を実現しました。
悲惨さで終わらせない講談という表現
神田さんが一貫して大切にしているのは、「聞き手を絶望させたまま終わらせない」ことです。
物語の終盤、赤ん坊が生まれ、その命を空に掲げて「守ってやる」と叫ぶ場面。
朝霧が流れ、光が差し込むその瞬間、聞き手は過酷な体験を共有しながらも、「命は尊い」「生きていてよかった」という感覚に包まれます。
「つらい話を聞いても、最後は元気になって帰っていただきたい」
それが、神田さんが講談で実現したい表現なのです。
排除される表現と、再評価の動き
かつては受け入れられていた『はだしのゲン』も、近年では図書館や教育現場から排除される動きが見られました。松江市での閲覧制限や、広島市の平和教育教材からの削除など、その多くは十分な議論を経ないまま進められたものでした。
しかし、こうした動きに対する疑問や反発の声が広がり、結果として作品の価値が再認識されることにもつながりました。
「自分の子どもや孫に読ませたい」
そうした声とともに、『はだしのゲン』は再び多くの人に読まれるようになっています。
世界が求めている「語り継ぐ力」
日本被団協がノーベル平和賞を受賞したことが示すように、世界は被爆体験や戦争体験を次の世代へ伝えることを強く求めています。
それにもかかわらず、被爆国である日本が核兵器禁止条約を批准していない現実に、神田さんは強い疑問を抱いています。
漫画と講談が、人の心を動かす
人は簡単には考えを変えません。強く訴えすぎれば、かえって心を閉ざしてしまうこともあります。
だからこそ、漫画という入り口があり、そこに講談という伝統芸能が重なることに大きな意味があります。難しいテーマであっても、感情を通して自然に心へ届くのです。
未来を生きるのは若い世代です。戦争について考え、選択する責任も、その世代に引き継がれていかなければなりません。
これからへ
8月9日には、『はだしのゲン』を全編語る講談会が予定されています。新作講談『被爆太郎の物語』や、100歳の体験者とともに語る特別企画も行われる予定です。
戦争体験を過去に閉じ込めないために。
そして、それを希望として次の世代へ渡すために。
神田香織さんの講談は、いまも静かに、しかし確かに、人の心に問いを投げかけ続けています。
