| 開催日 | 2025年5月18日 |
| ゲスト | 田中優子さん |
| コメンテーター | 稲本 正 |
「江戸って、暗くて不便で、昔の社会でしょ?」
そう思っていたら、この回はたぶん価値観がひっくり返ります。
5月18日の「共生進化ネット」(ゲスト:田中優子さん/コメンテーター:稲本正さん)はシリーズ最終回。テーマはずばり、江戸の循環。
木材の使い方から、長屋の暮らし、下肥の流通、再生紙、行灯の読書、灰の売買まで—「捨てない社会」がどう実装されていたのかを、30分で一気に掘り下げました。
「木の名前も用途も知らない」—だから江戸が刺さる
稲本さんが最初に出したのは、木材の資料(樹種と用途をまとめた教材)。
かつて“森林の学校”のような試みを作ったものの、若い世代が木の名前も用途もほとんど知らなかったという話が出ます。
でも江戸時代の人は違った。
「木の性質を見て、用途に合わせて選ぶ」。
道具に桜材を使う—そんなレベルで、素材の知恵が生活に埋め込まれていました。
ここから田中さんは「木の話」へ入っていきます。
漫画『カムイ伝』が“職人の世界”を見せてくれる理由
田中さんが授業で使っていた教材が意外にも漫画『カムイ伝』。
理由はシンプルで、「ものすごく細かく描いてある」から。
- 木こりの仕事
- 皮職人
- 山の猟師、海の漁師
- 多様な職能(職人)が社会を回している様子
当時の写真資料は少ない。
だからこそ、絵で見せるほうが圧倒的に伝わるという話が印象的でした。
伐りすぎると山が裸になる → 洪水が起きる(循環の“破綻”)
木は斧で伐り、丸太を坂道で転がし、川まで下ろす。
そこで筏を組み、堰を切って流す。流送のときは歌を歌う。
こうして木材は都市へ運ばれていきます。
でも、木材需要が増えすぎるとどうなるか。
山が裸になる → 少しの雨で洪水 → 被害は下流へ広がる。
江戸初期には実際に過剰伐採が問題化し、洪水として現れた。
原因は分かっている。伐りすぎ。
しかし人口が増え、城や藩邸、長屋が増え、火事が起きればまた木材が必要になる。
「伐らない」という選択は簡単ではありません。
「経済=金儲け」じゃなかった江戸の価値観
ここで田中さんが強調したのが、江戸の「経済」の意味。
経済とは本来、経世済民(世を治め、民を救う)のこと。
人を幸せにすることが“経済”であり、単なる金儲けではない。
だから森林管理も「やるべきこと」として合意され、制度が整っていく。
この価値観、現代にそのまま持ち込みたくなる強さがありました。
「伐るなら植える」へ—江戸は早い段階で植林に入った
まず決めたのは「やってはいけないこと」。
- 草の根まで掘る伐採は禁止
- 川筋の左右に木を植える
- 切ってはいけない木・場所を定める
それでも追いつかない。
そこで江戸は早い段階で、切ったら植えるへ移行していきます。
田中さんが挙げた例が、赤沢のヒノキ林。
天然林のように見えるけれど、実は江戸時代に植えた森で、樹齢300〜400年級の立派な林になっているという話でした。
江戸の長屋は“貧しい場所”ではなく、循環のユニットだった
話は都市へ。
田中さんが示した長屋の入口の絵には、看板がぎっしり。
そこから見えるのは、長屋が単なる住居ではなく——
中で仕事が行われる場所(小さなオフィスビル的)
だったという側面です。
さらに「物売り」が日常的にやってくる。
- 納豆売り
- 野菜売り など
待っていれば生活物資が届く。
田中さんいわく、“コンビニが向こうから来る”暮らし。
長屋の“三点セット”が最強:井戸・共同便所・ゴミ箱
田中さんが「長屋の三点セット」と呼ぶのがこれ。
- 井戸(共同の水)
- 共同便所
- ゴミ箱(回収拠点)
この3つが揃えば、庶民は文化的に生活できる。
長屋は「貧しさ」ではなく、都市生活の標準モデルとして成立していた—この見立てが面白い。
水は玉川上水などから供給され、江戸に入ると地下に管が敷かれ、溜まり場を経て、井戸のように汲み上げる。
インフラまで含めて“循環”が設計されていました。
下肥が“商品”になる:捨てるものが価値へ変わる
最も衝撃が強いのがここ。
人口が少ない頃、排泄物は川に流していた。
しかし人口集中で衛生問題が深刻化し、川へ流すことが禁止される。
ではどうしたか?
排泄物を肥料として回収し、農村へ運ぶ。
桶・樽・船など運搬技術と結びつき、やがて下肥が商品として流通する。
買い手は金を払い、回収元(長屋の家主や屋敷側)にも対価が支払われる。
つまり江戸では、循環が「善意」ではなく経済システムとして回っていたんです。
ゴミも灰も、全部“売れる”—処理費を払う現代と真逆
プラスチックがない時代、ゴミの中心は木・紙・布。
肥料化、埋め立て材、最後は焼いて灰にする。
そして灰はどうなるか。
灰を買いに来る業者がいる。
こちらが処理費を払うのではなく、向こうが払って持っていく。
物を棄てるだけでもお金がかかってしまう現代と、まるで真逆の構造でした。
行灯の下で本が読めた理由:暗いなら“暗くて読める”を作る
「行灯って暗いのに、よく本が読めたよね?」
田中さんは実験したと言います。
結果、現代の紙は読みにくいが、江戸の紙や印刷物は読める。
反射や質感、紙の作りが違うから。
明るい電気がないなら、
行灯で読める本を作ればいい。
江戸はそれをやっていた、という話がめちゃくちゃ刺さりました。
竹は当時の“プラスチック”。修理屋が多かった江戸の町
竹製品は生活必需品の中心で、台所用品の多くが竹。
成長が早い素材を使い倒す感覚は、まさに“当時のプラスチック”。
さらに、江戸には修理屋が多かった。
- 直し屋
- 修理屋
- 焼き継ぎ(瀬戸物) など
「新しいものを買う」より、「直して使う」が基本。
その先に“灰買い”まである。捨てる場所が存在しないに近い。
現代にもつながる:ネットで生まれる“新しい古着屋”
稲本さんは現代の事例として、デジタルで古着を登録し、組み合わせて再デザインし販売する仕組みが評価された話を紹介します。
江戸の古着屋が「街を回る仕組み」なら、
現代は「ネットで組み合わせる仕組み」になりうる。
本気でやれば、江戸の循環は“復元”ではなく“アップデート”できる。
そんな希望が残りました。
さいごに:循環は宇宙の前提。江戸はそれを暮らしに実装していた
水も炭素も消えない。形を変えて回り続ける。
人も社会も、その循環の上にある。
それを「当たり前」として暮らしに落とし込み、
制度と商いとして回し切ったのが江戸だったのです。
シリーズ最終回は、江戸が“昔”ではなく、未来の実験場に見えてくる回でした。
