| 開催日 | 2025年3月19日 |
| ゲスト | 中村桂子さん |
| コメンテーター | 稲本 正 |
「共生進化ネット」で、生命科学者の中村桂子さんを迎えた対話が行われました。
今回は生命とは何か、人間を機械として見てよいのか、そして私たちはどう生きるのかを、より深く掘り下げて考える時間となりました。
文学から科学へ―稲本正の原点
稲本正 さんは、自身が本来は文学を志していたことを語ります。
「一日二千字を書けなければ物書きにはなれない」と言われ、実際に書き続けたものの、最後に告げられたのは「君は理科系だ」という一言でした。そこから究極の理科を求めて物理学へ進んだ経験が、今回の対話の出発点となっています。
DNAは“物質”であり、“物語”でもある
中村さんが語る生命観の核心は、DNAの不思議さにあります。
DNAは確かに物質ですが、単なる物質ではありません。そこには「情報」や「物語」とも呼べる、形のないものが宿っています。原子が集まり、分子になり、遺伝子となる。その組み合わせが、生命というダイナミックな営みを生み出しているのです。
従来の科学には「情報」という概念がほとんどありませんでした。しかし、生物を理解する過程で、初めて情報という視点が必要になりました。中村さんは、現代の情報社会こそ、生き物の本質を深く理解したうえで築かなければならないと指摘します。
「遺伝か、環境か」ではない
対話の中で何度も強調されたのが、「遺伝か環境か」という二項対立の誤りです。
遺伝子は存在するだけでは意味を持たず、環境を通して初めて働きます。つまり、遺伝も環境も、どちらも欠かすことができません。対立させるのではなく、両方を含めて考えることが、生命を理解する鍵になります。
この視点は、政治や経済、社会の分断にも通じるものがあります。生き物は本来、単純な二者択一ではなく、すべてを巻き込みながら成り立っている存在なのです。
生命誌という考え方
中村さんが提唱する「生命誌」は、生命を機械としてではなく、丸ごと捉えようとする学問です。
専門家だけが論文を書くための研究ではなく、誰もが集い、一緒に考え、感じるための“研究館”。それはコンサートホールのような場所であり、科学は「啓蒙」ではなく「共に楽しむもの」であるべきだと語られます。
そのため、生命誌の表現には、美しさや感性が欠かせません。音楽や文学、宮沢賢治の世界観など、理科と文化を分け隔てずに扱う姿勢が、生命をより深く理解する道につながっていきます。
生命は「矛盾」でできている
中村さんの著書『生命のストラテジー』で語られる生命の本質は、「矛盾の共存」です。
多様でありながら共通している。安定していながら変化する。精密でありながら遊びがある。
生命は、論理的に整理された存在ではなく、矛盾を抱え込みながら続いてきました。
この考え方は、「正常」と「異常」という区分にも疑問を投げかけます。人間に“規格品”は存在せず、誰かを基準にして外れた人を異常とする発想自体が、機械的な見方なのではないか―そんな問いが提示されます。
40億年の知恵に学ぶ
生命は約40億年にわたって続いてきました。一方、人類の近代文明は、わずか200年ほどです。
中村さんは、「これほど長く続いてきた生命のやり方に、学ばない理由はない」と語ります。結果だけを急ぐのではなく、プロセスを大切にし、矛盾を抱えたまま考え続けること。それこそが、生きているということなのかもしれません。
次回に向けて
次回は再び“入り口”の話を行い、今回の内容をさらに深め、私たち一人ひとりの生き方を見つめ直す回が予定されています。
生命とは何か、自分はどう生きたいのか――そんな問いを抱えたまま、次の対話へと続いていきます。
