| 開催日 | 2025年2月2日 |
| ゲスト | 隈研吾さん |
| コメンテーター | 稲本 正 |
2025年2月2日、共生進化ネットの配信に、建築家・隈研吾さんをゲストとしてお迎えしました。コメンテーターは稲本正。今回は前回のテーマだった『負ける建築』を起点に、隈さんの原体験や建築観、そして和紙・漆といった日本の素材にまで話が広がる濃密な回になりました。
「建築家が“負ける”って言うの?」という衝撃
稲本さんがまず語ったのは、隈さんの著書『負ける建築』の“衝撃”です。建築の世界では、強さや象徴性、勝ち残る思想が語られがちです。だからこそ、建築家が自ら「負ける」という言葉を掲げたことが、多くの人にとって異例であり、印象深い出来事だったのだと思います。
稲本さんはさらに、隈さんの作品集(いわば「全仕事」に近い内容で、作品だけでなく子ども時代からの歩みまで収録されている分厚い本)にも触れ、「来歴の部分がとても面白い」と話を進めます。そこから今回の対話は、隈さんの“原点”へと入っていきました。
港町の横浜ではなく、里山の横浜で育った
隈さんは神奈川県横浜市で生まれ育ちました。ただし、一般にイメージされる港町の横浜ではなく、里山の風景が色濃く残るエリアだったそうです。横浜には意外と里山が多く、その中でも典型的な環境だったと語られていました。
そして驚くのは、隈さんが幼稚園の頃から電車で通園していたことです。幼い頃から「自然のある場所」と「都市的な場所」を往復する生活をしていた経験は、その後の視野の広さにもつながっているように感じられました。
土に触れて育ったことが、感覚の土台になった
では、なぜ里山のような場所に住むことになったのか。隈さんは家庭の背景を語ります。
母方の祖父が医師だったものの、畑仕事が好きで「土いじり中心の生活」を送っていたそうです。農家から土地を借りて畑を続け、小屋まで建てて週末の拠点にしていた。その畑仕事のための小屋に、結婚した隈さんのご両親が住むことになり、隈さんも土に触れて育つ環境が自然と整っていった、という流れです。
稲本さんも「幼少期の体験がその人を決める」という話を重ねながら、隈さんの原体験に強い関心を寄せていました。
電車がつないだ“家の多様性”と建築観察
隈さんは、幼い頃から沿線のさまざまな街を移動し、友人の家も多様だったと語ります。豪邸もあれば、つつましい家もある。駅ごとに街の空気も違う。そうした違いを「比較しながら体験できた」ことが、後の建築観察に大きく役立ったというのです。
稲本さんも、田園調布などの住宅地を例に挙げながら、派手な家もあれば渋い家もあるという“差”が、仕事の現場で豪邸を見ても驚かなくなる感覚につながるのではないか、と応じていました。
「一点からしか見ないのではなく、いくつもの視点を持つ」──この話は、建築だけでなく、人生全体にも通じる示唆に聞こえます。
栄光学園で出会った“世界”と合理主義
中学から隈さんは鎌倉にある栄光学園(イエズス会系の男子校)に通います。横浜の里山とはまったく違う文化圏で、ヨーロッパやアメリカから来た神父たちに直接教わる環境でした。
ここで隈さんは、近代合理主義を「教科書の知識」ではなく、「人間の生き方として」体験したと語ります。厳しさもあった一方で、神父たちは人間的で、楽しい面もあり、その出会いは今でも人生の宝物だと感じているそうです。
稲本さんも「本物を見ないと本当はわからない」という話を重ね、異文化を“生身の人間”から学ぶことの価値を強調していました。
建築は“形”ではなく、“生き方”をデザインする
対談はさらに、住まい方への関心へと広がります。隈さんは建築を「形をデザインすること」にとどめず、「人の生き方をデザインすること」だと捉えていました。
その流れで、コレクティブハウスやコーポラティブハウスといった共同生活のあり方にも触れ、事務所を始めた頃に仲間と共同生活の実験を試みたことも語られます。結果としては大きな失敗だったそうですが、その失敗も含めて学びになった、という言葉が印象に残りました。
バブル崩壊が導いた“木の建築”との出会い
バブルが弾けて時間ができた時期、隈さんは高知県のある町へ誘われます。そこには木造の芝居小屋があり、町が壊そうとしていた。しかし隈さんが実物を見て、その美しさに強く感激し、「これは宝物だから壊すべきではない」と訴えたことで、保存へと流れが変わっていきます。
そしてここから、その町との縁が30年以上続くことになります。芝居小屋の保存だけでなく、公衆便所の設計をきっかけに次々と仕事が生まれ、今も設計中の案件があるという話は、建築が「一度の仕事」ではなく「関係」から育つことを実感させます。
和紙と漆、そして“こんにゃく”が未来をつくる
後半は、日本の素材と技術の話へ。和紙職人の中には、オランダから移住して独学で和紙を作る人物もいて、日本の職人が使わないような材料まで混ぜ込むことで独特のテクスチャーを生み出しているそうです。素材の扱いひとつで表現が変わる、という隈さんらしい視点が光ります。
さらに漆についても、強さと柔軟性を併せ持つ素材として可能性が語られます。和紙が傷む原因である毛羽立ちを防ぐために、昔から「こんにゃくを溶かして塗る」という技法があったこと、そしてそれが風船爆弾に使われたという逸話まで登場しました。
このあたりの話から見えてくるのは、隈さんの事務所が「建築事務所であると同時に研究所(ラボ)でもある」という姿勢です。建築を“作る”だけでなく、素材と技術の可能性を“掘る”。その姿勢が、次の建築へつながっていくのだと思います。
次回は「自然な建築」「日本の建築」へ
最後に稲本さんは、次回配信の案内をします。次回は2025年2月9日。まず15分の回を行い、さらに30分でもう一段深める構成で進める予定とのことでした。
「負ける建築」という言葉は、弱さではなく、環境や人間に対して“勝たない”という選択です。そしてその選択は、幼少期の体験、都市と自然の往復、異文化との出会い、地域との長い関係、素材への探究心──そうした積み重ねの上に立っているのだと、今回の対話は教えてくれました。
次回、どんな話がさらに引き出されるのか。楽しみにしたいと思います。
