意識はどこにあるのか─谷崎テトラさんが語る「宇宙とつながる意識」の正体

開催日2026年4月19日
コメンテーター稲本 正

共生進化ネットによる対談シリーズ、第3回。
ゲストは引き続き、谷崎テトラさんです。

これまでの回では、地球環境や人類の在り方について語られてきましたが、今回はさらに深く、「意識とは何か」というテーマに踏み込んだ内容となりました。


子どもの頃から続く問い「自分の意識はどこにあるのか」

谷崎さんの原点は、環境問題ではありません。
それ以前から、ずっと抱えていた問いがありました。

それは、

「自分の意識はどこにあるのか」

というものです。

子どもの頃から、存在そのものへの違和感があり、日常生活から距離を置くことも多かったといいます。特に印象的なのは、押し入れの中に入り、暗闇の中で過ごしていた体験です。

布団にくるまり、光も音もない状態の中にいると、身体の感覚が薄れ、意識だけが残るような感覚になる。まるで宇宙空間に漂っているような状態の中で、

「自分はどこから来て、どこへ行くのか」

という問いを繰り返し考えていたそうです。

外部刺激を遮断すると、意識はどうなるのか

大学時代、谷崎さんは脳生理学者ジョン・C・リリー博士の研究に出会います。

リリー博士は「アイソレーションタンク」という装置を使い、人間の意識を研究していました。外部からの刺激を完全に遮断し、暗闇と無音の状態で浮遊する環境を作ることで、意識がどのように変化するかを観察するものです。

この環境では、外からの情報が遮断されるため、脳は内部の記憶やイメージ、夢といったものを元に活動を始めます。

そして彼は、

  • 意識は身体の中にある
  • 同時に宇宙にも広がっている

という仮説を提示しました。

この考えは、谷崎さんにとって非常に大きな影響を与えるものだったといいます。

意識と宇宙はつながっているのか

対談はさらに、物理学や宇宙の話へと広がっていきます。

私たちの身体も宇宙も、基本的には水素や炭素といった同じ元素で構成されています。その中で電子が動くことによって、情報のやり取りが行われています。

谷崎さんはこの点に着目し、

「水素という存在は、魂のようなものではないか」

という感覚を持っていると語ります。

ビッグバンの直後に生まれた水素。
太陽の中で融合し、光となる水素。

それを「魂同士が結びついて光になる」と捉えることで、宇宙と意識の関係をイメージしているのです。

ビッグバン以前に「意識」はあったのか

近年では、さらに興味深い仮説も登場しています。

それが、「ビッグバン以前に意識のような場が存在していたのではないか」という考え方です。

この理論では、

  • 時間も空間も存在しない状態
  • すべての可能性を含む“普遍的な意識の場”

が前提として存在し、そこから宇宙が生まれたとされています。

また、個人の意識は一時的な現れに過ぎず、最終的にはその大きな意識の場へと戻っていくという考え方も示されています。

死は「消えること」ではないのかもしれない

谷崎さんは、余命宣告を受けた後、この考え方が自分の中にすっと入ってきたと語ります。

死とは、単に消えることではなく、

大きな意識の中へ統合されていくこと

ではないかという感覚です。

それは恐怖というよりも、むしろ自然に受け入れられるイメージとして捉えられていました。

それでも「個」としての意識は大切なもの

一方で、個人としての意識や経験の価値も否定されるものではありません。

自分が自分であるという感覚。
これまでに積み重ねてきた時間や記憶。

それらは確かに存在し、かけがえのないものです。

生命とは「物」と「情報」のあいだにあるもの

対談の中では、遺伝子についての話にも触れられました。

遺伝子は物質でありながら、同時に情報でもあります。
その配列によって、身体の構造や機能が決まる。

つまり生命とは、「物」と「情報」が結びついた存在です。

この視点は、意識や存在の問題とも深く関わっている可能性があります。

科学と哲学のあいだで見えてくるもの

今回の対談では、科学・哲学・宗教といった異なる領域が交差する形で、「意識とは何か」という問いが語られました。

明確な答えが出ているわけではありません。
しかし、それぞれの分野からのアプローチによって、少しずつその輪郭が見え始めているとも言えます。


まとめ

宇宙や生命の成り立ちを見つめることは、そのまま「自分とは何か」を問い直すことにつながります。

谷崎さんの語る内容は、特定の結論を示すものではありません。
しかし、その問いの深さと広がりは、私たちに新しい視点を与えてくれるものです。

意識はどこにあるのか。
それは身体の中なのか、それとも宇宙全体に広がっているのか。

その答えはまだ分かりませんが、少なくとも私たちは、その問いを持ち続けることができる存在なのかもしれません。