熊はなぜ人里に現れるのか?自然の循環を忘れた日本人と、失われゆく「生きる知恵」

開催日2026年10月25日
ゲスト宮崎学さん
コメンテーター稲本 正

私たちは、自然についてどれほど理解しているのでしょうか。
近年、熊やイノシシ、鹿などの野生動物が人里に現れる問題が注目されています。農作物への被害や人身事故が発生するたびに、駆除や捕獲の必要性が議論されます。

しかし、そもそも野生動物たちは、なぜ人間の生活圏に姿を現すようになったのでしょうか。
今回の「共生進化ネット」では、自然界の動物たちを長年撮影してきた写真家・宮崎学さんをゲストに迎え、稲本正さんとともに、野生動物と人間社会の関係について語り合いました。
対談は熊問題から始まり、森林管理、狩猟文化、食料自給、学校教育、そして生と死の循環へと広がっていきます。
その根底にあるのは、自然の中で生きるために人間が培ってきた知恵を、現代社会は忘れてしまったのではないかという問いです。

熊が人里に現れるのは、自然の循環が変わったから?

森に暮らす野生動物たちは、自然界の食料の増減に合わせて生きています。
例えば、ドングリは毎年同じ量が実るわけではありません。豊作の年もあれば、不作の年もあります。大豊作の翌年に大凶作となることもあり、熊をはじめとする動物たちは、そうした変動の影響を受けながら暮らしてきました。

ところが、人間が森林を管理し、自然環境を変化させてきたことで、動物たちの生活にも変化が生じています。かつて人の手が入っていた森林が放置されるようになり、人間の生活圏と野生動物の生息域との関係も変わってきました。宮崎さんは、こうした人間の活動が、結果的に野生動物への間接的な餌付けになっていると指摘します。
森の中で食料が不足しても、人里に下りれば食べ物が手に入る。そのことを動物たちが学習してしまえば、山から人間の生活圏へ移動するようになります。

これは、人間が生活のために地方から都会へ移動することにも似ています。
食料や生活の糧を得られる場所へ移動するのは、生き物にとって自然な行動ともいえるのです。

宮崎さんの写真には、都市のゴミを利用する動物や、人間社会のすぐ近くで暮らす野生動物たちの姿が記録されています。
私たちが考える以上に、動物たちは人間の生活環境を利用して生きているのです。
問題が起きてから駆除を考えるだけではなく、なぜ動物たちがそこへ現れるのか。その仕組みを理解したうえで対策を考える必要があります。

現代人は、自分の頭で考える力を失っている?

対談では、野生動物の問題から現代社会の教育にも話が及びました。現代は情報があふれ、知りたいことがあれば簡単に調べられる時代です。しかし、情報を手軽に得られることと、自分自身で物事を理解することは同じではありません。宮崎さんたちは、現代人が次第に自分の頭で考える力を失いつつあるのではないかと懸念しています。

例えば、動物の行動を知識として学んでいても、実際に自然の中でその動物を観察した経験がなければ、理解できないことがあります。宮崎さんが撮影したハクビシンの写真には、花粉を食べる姿が収められています。

身近な動物であっても、実際にどのような生活をしているのか、私たちは意外なほど知りません。また、横浜のペット霊園を取材した際には、亡くなったペットのために飼い主が供えた鰹節を、別の動物が食べる光景に出会ったそうです。飼い主にとっては大切な供え物ですが、ほかの生き物にとっては食料になります。

人間の思いとは関係なく、自然界では別の営みが続いているのです。こうした光景には、物事を一つの側面からしか見ていないと気づけない現実があります。

知識を覚えるだけでなく、目の前で何が起きているのかを観察し、自分自身で考えることが大切なのです。

竹で罠を作ったベトナム人青年が教えてくれたこと

学校教育と実生活の違いを象徴するエピソードとして、あるベトナム人青年の話が紹介されました。農家を営む知人が、農作物を荒らすイノシシに困っていたときのことです。

その話を聞いた25歳のベトナム人青年は、なぜイノシシを捕まえないのかと尋ねました。農家の知人が捕まえ方を知らないと答えると、青年は竹のある場所を確認しました。
そして、わずか2日後には竹を使って自分で罠を作り、イノシシを捕まえてしまったのです。

この青年には、身近な材料を使い、生活上の問題を解決するための経験と知恵がありました。一方、学校で多くの知識を学んできたとしても、実際に罠を作ったことがなければ、同じように対応できるとは限りません。もちろん、学校教育そのものが不要だという話ではありません。

問題は、知識を身につけることと、その知識を現実の問題に応用することが切り離されてしまっている点にあります。宮崎さんたちは、学校で学んだ内容と現実の間に大きな隔たりが生まれていると語ります。社会や自然環境が変化しているにもかかわらず、教育の仕組みはなかなか変わりません。

その結果、知識は豊富でも、目の前の問題を自分で解決する経験が乏しい人が増えているのではないでしょうか。

かつて熊は「害獣」ではなく、暮らしを支える貴重な資源だった

現在、熊や鹿などの野生動物は、人間社会に被害をもたらす存在として取り上げられることが少なくありません。しかし、かつての日本では、野生動物は人々の生活を支える重要な資源でもありました。熊は肉や毛皮だけでなく、熊胆なども利用されていました。地域によっては、熊を捕獲することが大きな収入につながっていたのです。

対談では、昔の猟師が熊を数頭捕獲することで、家族の生活を支えられたという話も紹介されました。ところが現在では、野生動物を駆除しても、その肉や皮が十分に利用されない場合があります。鹿を捕獲した後、山中に埋めて処分することもあるといいます。

一方で、スーパーに並ぶ肉の価格は上がり、食料の確保が家計の負担になっています。利用できる資源を捨てながら、別の食料を高い価格で購入しているのです。

宮崎さんたちは、こうした状況に疑問を投げかけます。自然界の動物を単なる厄介者として扱うのではなく、人間の暮らしとの関係を改めて考える必要があるのではないでしょうか。

マタギが受け継いできた狩猟の知恵

かつて日本各地には、それぞれの自然環境に精通した狩猟の専門家がいました。東北地方のマタギも、その代表的な存在です。マタギたちは、山に入る際に独自の言葉や規律を用い、集団で狩猟を行っていました。対談では、必要な獲物を決めたら粘り強く追い続け、狙った個体を仕留めるという狩猟のあり方が語られました。また、若い雌や子どもを避け、大きく成長した雄を狙うといった考え方も紹介されています。そこには、むやみに捕獲するのではなく、自然の中で自分たちの生活を維持しようとする知恵がありました。

野生動物の問題を考えるとき、こうした伝統的な狩猟文化から学べることもあるのではないでしょうか。

米だけが食料ではない。雑穀と木の実に眠る可能性

日本の食料自給についても、興味深い議論が交わされました。日本では古くから稲作が発展し、米が主食として重要な役割を果たしてきました。しかし、水田を作るには土地を平らにし、水を管理する必要があります。山地の多い日本では、すべての土地を水田として利用できるわけではありません。

そこで注目されたのが雑穀です。
雑穀には、傾斜地や比較的厳しい環境でも栽培できるものがあります。土地の条件に合わせて作物を選べば、これまで十分に活用されていなかった場所でも食料を生産できる可能性があります。さらに、山には食用にできる木の実も数多く存在します。縄文時代の人々は、ドングリや栗などの木の実を利用して暮らしていました。現代では忘れられがちな食材ですが、自然の恵みを活用するという視点から見れば、改めて注目する価値があります。

冷蔵庫がなかった時代、人々はどうやって食料を保存していたのか

昔の人々は、食料を長期間保存するためのさまざまな工夫をしていました。例えば、栗や木の実を乾燥させたり、粉に加工したりする方法です。ドングリも、適切に処理して粉にすることで、さまざまな料理に利用されてきました。

また、干し椎茸や棒鱈、鰹節などの乾物も、日本の食文化を支えてきました。乾燥させた食材は、水で戻すことで料理に使えます。冷蔵庫がなかった時代、人々は自然の性質を利用して食料を保存していたのです。現在では、調理済みの食品を簡単に購入できます。しかし、便利な食品の中には、保存できる期間が短いものもあります。

便利さを追求する一方で、長い時間をかけて培われてきた保存技術を忘れてしまっているのではないでしょうか。

動物の死体は、決して無駄にならない

今回の対談で特に印象的だったのが、宮崎さんが長年取り組んできた「動物の死」を記録する仕事です。動物が死ぬと、その体にはさまざまな生き物が集まります。
夏であれば、ハエなどの昆虫が集まり、幼虫が死体を分解していきます。冬には、タヌキやキツネ、テンなどの動物が死体を食べたり、一部を別の場所へ運んだりすることがあります。こうした過程を経て、動物の体は少しずつ分解され、自然へと戻っていきます。

私たちは動物の死体を見ると、気持ち悪いもの、避けるべきものとして考えがちです。しかし、自然界では死体もまた、別の生き物を支える重要な存在です。

例えば、鳥が動物の毛を集めて巣作りに利用することもあります。死んだ動物の体が、次の世代を育てるための材料になるのです。宮崎さんは、こうした光景を写真に収めることで、自然界の循環を伝えようとしてきました。一見すると残酷で、不快に感じられる写真かもしれません。

しかし、そこには生命がどのようにつながり、循環しているのかという重要な事実が写されています。
死は単なる終わりではなく、ほかの生命へとつながっていく自然の営みでもあるのです。

鳥の巣に隠された驚くべき建築技術

自然界の生き物が持つ知恵についても、さまざまな例が紹介されました。
その一つが鳥の巣作りです。

鳥たちは、外側に太く粗い枝を使い、内側に向かうほど細く柔らかな材料を配置します。
卵やひなを守る部分には、毛や柔らかな植物などを利用することもあります。
こうした構造は、人間が考える建築にも通じる合理性を持っています。

対談では、子どもたちに鳥の巣を見せ、同じものを作らせた経験も語られました。しかし、鳥たちが作るような精巧な巣を再現することは簡単ではありません。さらに、動物たちは植物が持つさまざまな性質も利用しています。

杉などの樹皮や枝には、微生物の増殖を抑える働きを持つ成分が含まれています。鳥やリスなどが、こうした植物を巣作りに利用することもあります。人間が知らないところで、動物たちは自然の素材を巧みに使い分けているのです。

昔の人は植物の力を知っていた

植物の持つ成分についても、対談では興味深い話が紹介されました。
例えば、ミズメザクラという樹木です。昔の木こりたちは、疲れたときにミズメザクラの樹皮を利用していたといわれています。

ミズメザクラには、サリチル酸メチルという成分が含まれています。こうした植物の成分は、現在では科学的な研究の対象となっていますが、昔の人々は化学的な知識がなくても、経験によって植物の特徴を理解していました。また、日本酒の製造や保存に杉樽が使われてきたことも、植物の性質を利用した文化の一つです。

自然界には、人間がまだ十分に理解していない仕組みが数多く残されています。昔の人々が経験によって培ってきた知恵を、現代の科学と結びつけて見直すことにも、大きな意味があるのではないでしょうか。

死を考えることは、どう生きるかを考えること

対談の後半では、人間自身の死についても話が広がりました。宮崎さんは、幼い頃に祖母の土葬を経験したといいます。当時は現在のように火葬が一般的ではなく、遺体を土に埋める地域もありました。墓穴を掘った際には、以前に埋葬された人の髪の毛が残っているのを見たこともあったそうです。
人間もまた、死後には自然の中で変化していく存在です。しかし、現代社会では死を身近に感じる機会が少なくなっています。私たちは普段、いつまでも生きていられるかのように日々を過ごしています。けれども、人間の一生は長い歴史の中ではほんの一瞬です。

だからこそ、生きている間に何をするのか、何を残すのかを考える必要があります。対談では、余命が限られた友人に会うため、予定を変更して訪ねた経験も紹介されました。死を目前にした人の言葉には、それまでとは違った重みがあります。
死について考えることは、決して後ろ向きなことではありません。むしろ、限られた時間をどう生きるのかを考えるきっかけになります。

「諸行無常」が教えてくれる自然の姿

仏教には「諸行無常」という言葉があります。この世のあらゆるものは変化し続け、同じ状態にとどまることはないという考え方です。
自然界の生き物も、生まれ、成長し、やがて死を迎えます。

その体は別の生き物の糧となり、再び自然へと戻っていきます。人間社会もまた、この循環の外側にあるわけではありません。
政治や経済、教育の仕組みも、永遠に同じ形で続くものではありません。

すべてのものが変化し、循環しているという視点を持つことが、現代社会には必要なのかもしれません。

未来を変えるのは、自然の中で自由に育つ子どもたちかもしれない

最後に話題となったのは、これからの時代を生きる子どもたちの可能性です。宮崎さんの周囲には、さまざまな個性を持つ若者たちが集まっています。大学で学ぶ人もいれば、学校教育を十分に受けずに、自分自身の経験を通じて学んできた人もいます。学歴が高いからといって、必ずしも発想が豊かであるとは限りません。

自分で働いてお金を貯め、一人で各地を歩き回り、さまざまな経験を積む若者もいます。また、幼い頃から自然の中で遊び、魚を捕まえたり、昆虫を観察したりしながら育つ子どもたちもいます。こうした子どもたちは、教科書から知識を得るだけではなく、自分自身の体験を通じて物事を学んでいます。

大人になるにつれて、人は社会の常識や決まりに合わせて行動するようになります。しかし、子どもたちはまだ、そうした枠にとらわれていません。その自由な発想の中から、これまでの常識を覆すような発見が生まれるかもしれません。

宮崎さんたちは、そうした次世代の子どもたちに大きな期待を寄せています。人類の未来を考えるとき、宇宙へ進出することだけが答えではありません。

まずは、今私たちが暮らしている、この豊かな地球の中でどう生きるのかを考えることが大切です。自然を観察し、自分の頭で考え、新しい生き方を発見できる人間が育つこと。
そこに、これからの社会を変える可能性があるのではないでしょうか。

自然を支配するのではなく、自然の中で生きる知恵を取り戻す

今回の対談では、熊問題をきっかけに、森林管理、狩猟文化、食料自給、保存食、動物の死、教育など、さまざまな話題が語られました。一見すると別々の問題に思えますが、その根底には共通する考え方があります。それは、人間もまた自然界の一部であり、ほかの生き物との関係の中で生きているということです。

私たちは便利な社会を築き、多くの知識や技術を手に入れてきました。その一方で、自然を観察する機会や、生活の中で知恵を身につける経験を失いつつあるのかもしれません。
野生動物が人里に現れる理由を考えることも、昔の保存食を見直すことも、動物の死を観察することも、すべては自然の仕組みを理解することにつながっています。

大切なのは、昔の暮らしにそのまま戻ることではありません。
先人たちが積み重ねてきた経験を学び直し、現代の知識と結びつけながら、これからの生き方を考えることです。

自然を一方的に管理し、支配する対象として見るのではなく、その循環の中で自分たちがどう生きていくのか。そして、子どもたちが自分自身の目で自然を観察し、自由な発想で未来を切り開いていける環境をどう作るのか。

今、私たちに問われているのは、そうしたことなのかもしれません。