クマが人里に現れる本当の理由とは?森から人が消えた日本で起きている異変

開催日2026年10月18日
ゲスト宮崎学さん
コメンテーター稲本 正

クマは本当に増えているのでしょうか。そして、なぜ人間の暮らす場所に姿を現すようになったのでしょうか。

近年、全国各地でクマの出没が相次ぎ、人身被害や農作物への被害が社会問題となっています。その原因については、餌となる木の実の不足、森林環境の変化、気候変動など、さまざまな説明がなされています。
しかし、野生動物の生態を長年観察してきた写真家の宮崎学さんは、こうした問題を考えるうえで、もっと根本的な変化に目を向ける必要があると指摘します。

それは、人間が山からいなくなったことです。

今回の共生進化ネットでは、宮崎学さんをゲストに迎え、稲本正さんとともに、クマの増加や森林の変化、野生動物と人間の関係について語り合いました。
私たちが当たり前だと思っている自然の姿は、実は大きな誤解に基づいているのかもしれません。

クマは絶滅するはずだった? 20年前から続く認識の食い違い

宮崎さんは、2005年頃からクマの個体数が増加していると感じ、その様子を写真に収めてきました。
当時からインターネットを通じてクマの増加を訴えていましたが、その主張は多くの批判を受けたといいます。
当時はクマを絶滅の危機にある動物と捉える見方が強く、個体数が増えているという指摘は、専門家からも受け入れられにくかったそうです。

しかし宮崎さんによれば、近年になって、かつてクマの減少を訴えていた人々も、増加を認める方向へと見解を変え始めています。
ここで宮崎さんが疑問を投げかけるのは、その間の約20年間です。
実際の森林では変化が進んでいたにもかかわらず、なぜその兆候が十分に認識されなかったのでしょうか。

宮崎さんは、その背景に、現場の観察よりも既存の知識やメディアの情報が優先されてしまう問題があると考えています。
専門家であっても、実際の森林に足を運び、野生動物の行動を継続的に観察しているとは限りません。
また、メディアを通じて広まった情報が繰り返し引用されることで、現場の実態とは異なる認識が定着してしまう可能性もあります。

もちろん、クマの個体数の変化は地域によって異なり、全国一律に増加しているとは限りません。
それでも、長年の現場観察から得られた知見と、一般的に流通している情報との間に食い違いが生じることは、自然環境を理解するうえで重要な問題といえるでしょう。

日本の森林は減っているのではなく、広がっている?

日本の森林を考える際、宮崎さんが重視するのが、植物の世代交代です。
森林は、一度形成されれば同じ姿を保ち続けるわけではありません。

木が伐採された場所には、まず成長の早い植物が入り込みます。タラノキなどはその代表例で、条件によっては1年間で1メートルほど成長することもあります。
その後、時間の経過とともに別の種類の樹木が育ち、森林の構成は少しずつ変化していきます。

こうした植物群落の移り変わりは、一般に「植生遷移」と呼ばれています。
ある植物が姿を消したとしても、それが必ずしも森林の衰退を意味するわけではありません。次の段階を担う植物へと、役割が引き継がれている場合もあるのです。
宮崎さんは、森林の変化を理解するには、数年単位ではなく、100年、200年という長い時間で捉える必要があると語ります。

そして、現在の日本では、山間部の人口減少に伴い、人間が利用しなくなった土地で森林化が進んでいると指摘します。
かつて薪や炭を得るために利用されていた場所も、現在では木々が成長し、森林へと戻りつつあります。

つまり、人間の活動が減ったことで、森林が人里へと近づいているのです。
この変化は、野生動物の生息環境にも大きく関係しています。

クマが人里に近づいたのか、それとも森が人里に近づいたのか

今回の対談で特に印象的なのが、人間と森林の境界に関する話です。
かつて日本では、山は生活に欠かせない資源の供給源でした。

人々は薪を集め、炭を焼き、木材を利用しながら暮らしていました。風呂を沸かすにも、ご飯を炊くにも、冬に暖を取るにも、山の木が必要だったのです。
そのため、集落の周辺には人間が日常的に利用する森林が存在していました。
人々が木を伐採し、定期的に山へ入ることで、集落と奥山との間には自然と境界が形成されていたといいます。
その境界は、人間の生活圏と野生動物の生息域を分ける緩衝地帯としても機能していたと考えられます。

ところが、1960年代頃から日本の生活環境は大きく変わりました。
薪や炭に代わって電気や石油が普及し、人々は日常生活のために山へ入る必要がなくなっていきました。
さらに、人口減少や高齢化によって山間部の集落そのものが縮小し、森林の管理や利用も減少しました。
その結果、かつて人間が利用していた土地にも木々が生い茂り、人里と森林の境界が曖昧になっていったのです。
宮崎さんは、この変化を、かつて山の奥に祀られていた山の神様が、人里の近くまで降りてきたようなものだと表現しています。
クマが突然、人間の領域へ進出してきたというだけではありません。
人間が山から退き、その場所を再び森林が覆うようになったことも、現在のクマの出没を考えるうえで重要な視点なのです。

人工林だからクマの餌がない、という単純な話ではない

クマの出没が増える理由として、森林の人工林化が挙げられることがあります。特に、スギやヒノキなどの針葉樹林では、クマの餌となる木の実が少ないため、食べ物を求めて人里に現れるという説明です。
しかし宮崎さんは、森林の種類だけでクマの行動を説明することには慎重です。
クマは非常に幅広い食べ物を利用する雑食性の動物です。

木の実や果実だけでなく、昆虫や動物の死骸なども食べます。状況によっては、シカなどの大型動物を食べることもあります。
そのため、人工林があるから食べ物がない、広葉樹林があれば十分な餌がある、と単純に区別することはできません。
重要なのは、森林の中でどのような植物が育ち、どのような動物が生息し、それぞれがどのように関係しているかという点です。
森林を一つの固定された環境として見るのではなく、絶えず変化する生態系として理解する必要があります。

野生動物は人間の行動を見抜いている

宮崎さんは、長年にわたり犬とともに森林を歩き、野生動物の撮影を続けてきました。
その経験から、野生動物は人間が想像する以上に周囲の状況を観察し、学習していると語ります。

例えば、撮影のために山へ入ると、犬は宮崎さんの数メートル先で周囲を警戒します。
宮崎さんがカメラを構えると、犬は背中を向けて座り、人間が見ていない方向を観察することがあるそうです。
犬は優れた聴覚や嗅覚を持っており、人間にはわからない野生動物の気配を察知できます。
さらに興味深いのは、相手によって犬の反応が変わることです。

タヌキやシカなどが現れた場合には追いかけることがありますが、クマや大型のイノシシが近くにいる場合には、むやみに吠えず、警戒するような行動を見せるといいます。
少し進んでは戻り、再び同じ方向へ進む。
宮崎さんは、こうした犬の動きを読み取り、周囲に危険な動物がいる可能性を判断しています。

また、野生動物の側も、人間の匂いや持ち物、行動を手がかりに周囲の状況を把握していると考えています。
宮崎さんは、このような動物の観察能力を「プロファイリング」に例えています。
人間が野生動物を調査している一方で、野生動物も人間を観察し、その行動を学習しているというわけです。

私たちは自然を観察する主体であると同時に、自然から観察される存在でもあるのです。

シカの増加はクマの増加にも関係している?

宮崎さんは、クマの増加を考えるうえで、シカの個体数の変化にも注目しています。
日本では、地域によってニホンジカの増加が問題となっており、森林の下層植生や農作物への被害が発生しています。

一方で、シカはほかの動物にとって食料となる存在でもあります。
クマは雑食性ですが、シカの死骸を利用することがあり、場合によっては幼いシカなどを捕食することもあります。

宮崎さんは、シカの増加から一定の時間差を置いてクマも増えているように感じると語ります。
もちろん、シカの増加だけでクマの個体数の変化を説明できるわけではありません。

しかし、野生動物の数は、それぞれ独立して変化するものではありません。
植物が増えれば、それを食べる動物の生息条件が変わります。その動物が増えれば、さらに別の動物にも影響が及びます。

こうした複雑な関係を理解することが、生態系全体の変化を考えるうえで欠かせないのです。

道路の凍結防止剤がシカを増やしている?

今回の対談では、野生動物と人間社会の意外な接点についても語られました。
それが、道路に散布される凍結防止剤です。

冬季の道路では、路面の凍結を防ぐために塩化ナトリウムや塩化カルシウムなどが使用されています。
これらの成分は、雪解け水や雨水とともに道路の外へ流れ出し、周辺の土壌や水環境に影響を与える場合があります。

一方、シカには土壌などに含まれるミネラルを摂取する習性があります。
宮崎さんは、道路周辺に蓄積された塩分が、シカにとってミネラルの供給源になっている可能性を指摘しています。

特に高速道路の橋などでは、凍結防止剤が多く散布されることがあります。
道路から流れ出した成分が周囲の土地に蓄積され、そこへ野生動物が集まることがあるというのです。
宮崎さんは、こうした状況を、人間が野生動物のためにドラッグストアを各地につくっているようなものだと例えています。
本来は人間の交通を安全にするための設備が、意図せず野生動物の行動に影響している可能性があるわけです。

ただし、凍結防止剤がシカの個体数増加にどの程度寄与しているのかについては、別途科学的な検証が必要です。
それでも、人間の生活を支えるインフラが、森林の生態系と無関係ではないことを考えさせられる指摘です。

クマもイノシシも、自然界の命を循環させる存在

クマというと、ドングリや果実を食べる姿を思い浮かべる人も多いかもしれません。
しかし、クマは植物だけを食べる動物ではありません。
昆虫や魚、動物の死骸なども利用する雑食性の動物です。

また、イノシシも植物の根や果実だけでなく、昆虫や小動物、動物の死骸など、さまざまなものを食べます。
宮崎さんは、こうした動物の役割を「自然界の掃除屋」と表現しています。
生態学では、動物の死骸などを食べる生物をスカベンジャーと呼びます。
自然界では、動物が死んでも、その体がそのまま残り続けるわけではありません。
ほかの動物や昆虫、微生物などによって利用され、分解され、やがて土壌や植物を支える物質へと変わっていきます。
そして植物を食べた動物が成長し、その動物もまた別の生き物の食料となります。

自然界では、誕生と死が絶えず繰り返されながら、命が循環しているのです。
クマやイノシシは、人間に被害を与えることがある一方で、こうした生態系の循環にも関わっています。
人間にとって危険な存在であることと、自然界で重要な役割を持っていることは、矛盾するものではありません。

かつての日本では、犬が人と野生動物の間にいた

宮崎さんは、昔の日本の集落では、犬が野生動物との関係を支える重要な存在だったと語ります。
地域によって出没する野生動物は異なります。

イノシシが多い地域もあれば、シカやクマが現れる地域もあります。
人々はそれぞれの環境に合わせて犬を育て、山での活動や集落の暮らしに役立てていました。

犬は野生動物の気配を察知し、人間に危険を知らせる役割を担っていたのです。
また、犬の能力や経験は、世代交代によって受け継がれていました。

若い犬は年長の犬の行動を観察し、周囲への警戒や人間との協力の仕方を学びます。
年老いた犬は役割を終え、次の世代がその仕事を引き継いでいきます。
宮崎さん自身も、長年にわたって柴犬を飼育し、現在も若い犬を迎えながら、その学習能力や行動を観察しています。

犬は単なる愛玩動物ではなく、人間と自然をつなぐ存在でもあったのです。
もちろん、現在の社会で犬を放し飼いにすることには、安全面や法令上の問題があります。
しかし、かつて人々が野生動物とどのような距離感で暮らしていたのかを知ることは、これからの共存のあり方を考えるうえで参考になるでしょう。

クマの問題は、人間と自然の関係が変わったことの表れ

今回の対談から浮かび上がるのは、クマの出没を単純な原因だけで説明することの難しさです。
クマの個体数、森林の植生、シカなどの野生動物の増減、山間部の過疎化、生活エネルギーの変化、道路などの社会インフラ。
これらは一見すると別々の問題ですが、自然界では互いに影響し合っています。
そして、その中心にあるのが、人間の暮らし方の変化です。
かつて人間は、山から薪や炭を得て、森林に入り、野生動物の存在を身近に感じながら暮らしていました。

ところが、社会の近代化によって、山の資源に頼らなくても生活できるようになりました。
それ自体は、生活の利便性を高めた大きな進歩です。

一方、人間が森林から離れたことによって、かつて維持されていた人里と山との境界も変化しました。
森林は人間が利用しなくなった土地へと広がり、野生動物もまた、その変化した環境の中で生きています。
つまり、現在起きている問題は、クマだけが変わった結果ではないのです。

人間の社会が変わり、森林が変わり、その変化に野生動物が適応してきた結果として、今の状況が生まれている可能性があります。
だからこそ、クマの出没を考える際には、目の前の被害への対策と同時に、長い時間をかけて変化してきた森林と人間の関係にも目を向ける必要があります。

まとめ:自然を理解するには、人間の視点だけでは足りない

私たちは、クマが人里に現れると「なぜ山から出てきたのか」と考えます。
しかし、今回の対談では、それとは逆の視点が示されました。

人間が山から離れ、かつての生活圏が森林へと戻っていった結果、野生動物との距離が縮まったのではないかという考え方です。
もちろん、クマによる被害を防ぐためには、地域ごとの生息状況を把握し、適切な安全対策を講じることが不可欠です。

そのうえで重要なのは、野生動物を人間の都合だけで理解しようとしないことではないでしょうか。
森林は絶えず姿を変え、動物たちは周囲の環境を観察しながら生きています。

そして、私たち人間の活動もまた、自然界にさまざまな影響を与えています。
クマが変わったのか。それとも、人間と森との関係が変わったのか。

この問いを考えることが、野生動物との共存を見直す第一歩になるのかもしれません。
共生進化ネットでは、今後も宮崎学さんとともに、自然界における命の循環や、人間と野生動物との関係について考えていきます。