「入学試験を受けていなかった」—英国留学が教えてくれた“違いを受け入れる力”

人生には、常識では説明できない出来事があります。

デザイナー・教育者として世界的に活躍する長澤忠徳ながさわただのりさんを迎え、若き日の英国留学のエピソードや、海外で学んだ「多様性を受け入れる文化」について語っていただきました。その話は、単なる留学体験談ではありませんでした。

そこには、これからの社会を考える上で重要なヒントが詰まっていました。

「アメリカはだめだ」から始まった留学計画

長澤氏が大学を卒業したのは1978年。そのまま教育の道へ進むのではなく、海外へ出て世界を見たいと考えました。
当初はドイツ留学を希望していましたが、現実的なハードルもあり、次に思い浮かんだのがアメリカでした。

ところが、父親に相談すると予想外の反応が返ってきます。

「お前の祖父に爆弾を落とした国へ行くのか」

戦争を経験した世代ならではの感覚だったのでしょう。
そこで「イギリスならどうだろう」と提案すると、今度はあっさり了承。

こうして長澤氏の英国留学が始まりました。

実は入学試験を受けていなかった

留学先は、世界最高峰のデザインスクールの一つであるロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)。
知人の紹介で学校とつながり、教授からも歓迎の手紙を受け取っていたため、長澤氏は当然のように入学できるものだと思っていました。

ところが後になって、とんでもない事実が判明します。
実は正式な入学試験を受けていなかったのです。

それでも教授たちは毎月面談の機会を設け、学校を案内し、学生たちには

「そのうち仲間になるからよろしく」

と紹介してくれていました。本人も周囲も、なぜか入学する前提で話が進んでいたのです。

そして観光ビザの期限が迫った頃、学校側が初めてその事実に気付きます。結果として、RCAの歴史上初めて「一人のためだけの入学試験」が行われることになったそうです。

まるで映画のようなエピソードですが、これもまた事実でした。

「私が認めるから大丈夫」という文化

対談の中で印象的だったのは、日本とイギリスの教育文化の違いについての話です。
日本では制度や規則が先にあり、その枠組みの中で判断が行われます。

しかし長澤氏が体験したイギリスでは、

「私が認めるから大丈夫だ」

という教授個人の裁量が非常に大きかったそうです。

もちろん無秩序という意味ではありません。
責任を持つ人が、自らの判断で可能性を見出し、その人材を受け入れる。そこには制度以上に、人を見る文化がありました。

ロンドンは「巨大都市」ではなく「都会」だった

長澤氏は留学中、日本の財団誌で「ロンドン通信」という連載を執筆していました。その最終回で書いた言葉が印象的です。

東京は巨大都市である。

ロンドンは都会である。

では、その違いは何なのでしょうか。

長澤氏は「トレランス(寛容さ)」だと語ります。

ロンドンには、異なる価値観や背景を持つ人々を受け入れる包容力があります。しかも、それによって街のアイデンティティが失われるわけではありません。

違いを認めながら、一つの社会として成立している。

その姿こそが、本当の意味での都会なのではないかと感じたそうです。

「みんな違う。そしてみんな特別」

長澤氏が感銘を受けた言葉があります。

ロンドンの小学校に掲げられていたというスローガンです。

We are all different.

We are all special.

「私たちはみんな違う。そしてみんな特別だ」

日本では「違うから合わせよう」と教えられる場面が少なくありません。
しかしイギリスでは、違うことそのものを価値として受け入れる文化がある。

その考え方が、教育現場の隅々まで浸透しているように感じたといいます。

日本文化の可能性を世界へ

一方で、長澤氏も稲本氏も、日本文化の価値を強く評価しています。

縄文から江戸へと続く日本独自の感性や美意識。

それらは世界に誇れる財産です。

ただし、その価値を世界へ届けるためには「翻訳」が必要です。

日本の文化をそのまま守るだけではなく、世界とつながる形へ再編集していく。

その作業こそが、これからの時代に求められているのかもしれません。

違いを受け入れることから未来は始まる

今回の対談を通して見えてきたのは、「多様性」という言葉の本質でした。違いを消すのではなく、違いを認める。
個性を尊重しながら、社会としてのまとまりもつくる。長澤氏が英国で体験した教育文化は、その実例だったように思います。

「みんな違う。そしてみんな特別」

このシンプルな言葉の中に、これからの社会を考えるための大きなヒントが隠されているのかもしれません。