| 開催日 | 2026年6月28日 |
| ゲスト | 市毛良枝さん |
| コメンテーター | 稲本 正、原田伸介 |
共生進化ネット、今回のゲストは俳優の市毛良枝さんです。
彼女が俳優を志したきっかけ、そして50年にわたる俳優人生についてお話を伺いました。
市毛良枝さんといえば、多くの人にとって親しみ深い存在です。長年にわたりドラマや映画で活躍し、時には若い女性役として、時には母親役として、そして近年では人生の深みを感じさせる役柄でも印象を残してきました。
しかし、ご本人は意外にも「私は俳優に向いていない」と語ります。
その言葉の奥には、華やかな世界の裏側で積み重ねてきた葛藤と努力、そして人や言葉を大切にしてきた市毛さんならではの歩みがありました。
温泉のある家で育った、少し不思議な少女時代
市毛さんは、静岡県の伊豆半島、修善寺の生まれです。
修善寺といえば、温泉地としても知られる自然豊かな場所です。市毛さんのご実家は、温泉街の中心から少し離れた山の裏側にあり、なんと家にも温泉が引かれていたそうです。
朝、家の温泉に入ってから小学校へ通う。
そんな少し贅沢で、少し不思議な日常を送っていたといいます。
ご実家は代々続く医者の家系でした。もともとは茨城で続いていた医家で、父親が9代目。市毛さんたち兄妹は10代目になるはずでした。
しかし、兄妹の誰も医者の道には進みませんでした。
父親は兄たちに「自分の人生は自分で決めなさい」と伝えて育てていたそうです。兄が医者にならないと決めた時も、それを受け入れました。ところが、市毛さんが「俳優になりたい」と言った時だけは反対されます。
「どうして兄たちはよくて、私はだめなの?」
市毛さんがそう問いかけると、父親は「それもそうだな」と納得してくれたそうです。
この柔らかいやり取りに、市毛さんの家族らしさがにじんでいます。
宝塚への憧れから、俳優の道へ
市毛さんが俳優を目指したきっかけは、宝塚への憧れでした。
中学生の頃から親元を離れ、東京で親戚の家や学校の寮に暮らしていた市毛さん。女子校では宝塚好きの友人も多く、みんなで観劇に行くうちに「自分も舞台に立ちたい」と思うようになったそうです。
ただ、宝塚に入るのは難しいと感じた市毛さんは、「それなら俳優になろうかな」と考えます。
そして、文学座の養成所を受けることにしました。
演劇部の先輩からは「受からないと思うけれど、とりあえず受けてみなさい」と言われたそうですが、結果は合格。市毛さん自身も「まぐれで受かってしまった」と振り返ります。
しかし、道は順風満帆ではありませんでした。
文学座の養成所では、1年後にその年必要とされる人材だけが残る仕組みがあり、市毛さんは残ることができませんでした。親の反対を押し切って入った世界で、初めて味わう大きな挫折でした。
その後、相談した相手から別の養成所を紹介されます。そこが、のちに俳優として共演する風間杜夫さんと同じ養成所でした。
最初の現場で知った、テレビの世界
市毛さんが最初に出演した作品は、木下惠介劇場の『冬の花』でした。
もともとは主役級のオーディションを受けたものの、結果は不合格。
ところが、演出家から「小さな役だけれど、やってみないか」と声を掛けられます。
市毛さんは、役の大小に関係なく「やらせていただけるなら」と出演を決めました。
当時の市毛さんは、まだ20歳そこそこ。
世の中のことも、演技のことも、テレビの現場のことも分からない状態でした。
それでも最初の現場では、周囲の人たちが一つひとつ丁寧に教えてくれたそうです。
そのおかげで、何とか自然に演じることができました。
ところが、次の現場ではそうはいきません。
「ここへ来てください」
「こちらを向いて話してください」
そう言われても、カメラが切り替わるタイミングで後ろを向いてしまったり、照明の当たらない場所に立ってしまったり。最初の現場でできたように思えたことが、次の現場ではまったくできませんでした。
そこで市毛さんは、改めて俳優という仕事の難しさを思い知ります。
「私は俳優に向いていないかもしれない」
そう感じたことは、一度や二度ではなかったそうです。
「隙間産業」として続いてきた俳優人生
稲本さんは、市毛さんについて「前へ前へ出るタイプではないのに、ずっと仕事があったのが不思議だ」と語ります。
俳優の世界は、自分を強く出す人が多い世界です。
その中で市毛さんは、どちらかというと控えめなタイプでした。
しかし、その控えめさが逆に目立ったのだと市毛さんは言います。
「私はいいです」と引く姿勢が、前へ出る人の多い世界では珍しかったのかもしれません。
市毛さんは、自分の立ち位置を「隙間産業」と表現します。
ドラマには、主役だけでなく、作品を支えるさまざまな役があります。前に出る人もいれば、少し変わった人、静かに場を支える人、家族の空気を作る人もいます。
市毛さんは、そうした作品の“隙間”を担いながら、50年にわたり俳優の仕事を続けてきました。
この「隙間産業」という言葉には、謙遜だけでなく、市毛さんならではの誇りも感じられます。
お嫁さん役から母親役へ、そして人生を映す役へ
市毛さんは、若い頃には「お嫁さんにしたい女優」として人気を集めました。
その後、年齢を重ねるにつれて、母親役も増えていきます。
稲本さんは、その変化がとても自然で、しかも見事だったと語ります。
市毛さん自身は「年齢とともに自然にそうなりました」と話しますが、若い頃のイメージから母親役、さらに人生の深みを感じさせる役へと移っていくことは、決して簡単なことではありません。
それでも市毛さんは、その時々の自分に合った役を丁寧に演じてきました。
近年では、BSで毎年放送されている作品にも出演しています。稲本さんの奥さまもその作品を楽しみにしているそうで、派手ではないけれど、日常の中にふと鋭い言葉や温かさがある作品として話題に上がりました。
市毛さんも、その作品を「大好きです」と語ります。
俳優に向いていない。それでも続けてこられた理由
市毛さんは、俳優という仕事について「性格的には決して向いているとは思わない」と話します。
それでも長く続けてこられた理由があります。
それは、人の思いを大切にすること。
言葉を大切にすること。
そして、みんなで一つのものを作ることが好きだったことです。
俳優の仕事は、決して一人では成り立ちません。演じる人だけでなく、監督、脚本家、照明、音声、美術、衣装、メイクなど、多くの人の力が合わさって一つの作品が生まれます。
その共同作業の面白さが、市毛さんをこの世界につなぎ留めてきたのかもしれません。
華やかな世界の裏にある、厳しい現実
稲本さんは、俳優の世界について「売れる人より、売れない人の方が圧倒的に多い」と語ります。
テレビや映画に出ている人を見ると、俳優という仕事は華やかで、誰でも目指せるように感じるかもしれません。しかし実際には、その世界で食べていける人はごく一部です。
これは野球選手の世界にも似ています。
大谷翔平選手のようなスターが目立つ一方で、その裏にはプロになれなかった人、続けられなかった人、別の道を選んだ人が数多くいます。
市毛さんも、演劇を経験したものの、俳優としてではなく別の仕事に進んだ人がたくさんいると話します。
ただ、その経験は決して無駄ではありません。
人前で表現した経験、言葉を大切にした経験、人と一緒に何かを作った経験は、その後の仕事や人生にも生かされていきます。
人前で歌いたい。
演じたい。
何かを表現したい。
そうした気持ちは、誰の中にもある本能的な欲求なのかもしれません。
自意識との戦いが、俳優を育てる
市毛さんは、俳優人生の中で何度も挫折を経験しました。
「もう辞めたい」と思ったことも、一度ではありません。
特に大きかったのは、自意識との戦いでした。
市毛さんの世代は、今の若い世代のように「自由に表現しなさい」と育てられたわけではありません。舞台の上で「まっすぐ歩いてください」と言われても、恥ずかしくて歩けないほどだったといいます。
ただ歩くだけなのに、見られていると思うと自然に動けない。
その自意識を取り払うまでに、とても長い時間がかかりました。
稲本さんも、カメラを向けられると多くの人は自然ではなくなってしまうと話します。自然に見える演技ほど、実は難しいものです。
市毛さんの柔らかな演技の裏には、そうした長い時間をかけた葛藤がありました。
50年ぶりの夫婦役ににじむ、時間の重み
最近の作品として話題に上がったのが、映画『富士山と、コーヒーと、しあわせの数式』です。
この作品で市毛さんは、風間杜夫さんと夫婦役を演じました。
実は風間さんとは若い頃にも共演しており、そこから約50年ぶりの夫婦役だったそうです。若い頃に出会い、年月を重ねた二人が、今度は50年連れ添った夫婦を演じる。
その関係性には、役を超えたリアルな時間がにじみます。
市毛さんは、50年という時間を経た夫婦の空気を演じるうえで、若い頃に共演した時の空気感がとてもありがたかったと話します。
何も語らなくても、隣にいるだけで伝わるものがある。
長い時間を共にしてきた夫婦だからこそ生まれる沈黙がある。
そのような表現は、経験を重ねた俳優にしか出せないものかもしれません。
市毛良枝さんの魅力は、静かな強さにある
今回のお話を通して印象的だったのは、市毛良枝さんの「静かな強さ」です。
自分では俳優に向いていないと思いながらも、目の前の仕事に向き合い、人の思いや言葉を大切にしながら、50年もの間、俳優として歩み続けてきました。
華やかに前へ出るだけが、表現者の在り方ではありません。
引くことで見えるものがあります。
支えることで残るものがあります。
静かにそこにいるからこそ、作品の中に生まれる空気があります。
市毛さんが「隙間産業」と表現したその場所には、実は多くの作品に欠かせない温かさと奥行きがありました。
次回は、市毛さんと風間杜夫さんの夫婦役、そして稲本さんとのご縁にもつながる『故郷は緑なりき』のお話へと続きます。
