停学中に出会った一冊の本が人生を変えた―野口健さん・野口絵子さん親子が語る「挑戦する人生」の原点

「夢を叶える人は、特別な才能を持っている人。」

そんなイメージを抱く人は少なくありません。

しかし、世界最高峰エベレストをはじめ、七大陸最高峰を制覇したアルピニスト・野口健さんが語ったのは、そのイメージとはまったく異なるものでした。

「コツコツ積み重ねること」
「最悪を想定して準備すること」
そして、「他に選択肢を作らないこと」。

今回は野口健さんと娘・野口絵子さんをゲストに迎え、親子だからこそ語れる教育論や挑戦の哲学、そして夢を現実へ変えていくための考え方について伺いました。

20年以上続く縁から始まった親子対談

司会の稲本さんは、野口健さんとは20年以上にわたり富士山をはじめとする環境活動で交流が続いている間柄です。
今回は野口健さんだけでなく、娘の野口絵子さんも加わり、親子そろっての出演が実現しました。
対談は立教英国学院時代の思い出から始まります。

海外で育まれた価値観

野口健さんは、小学6年生から高校卒業まで全寮制の立教英国学院で学びました。
外交官だった父親の仕事の関係で中東など海外を転々としていたため、日本の学校へ継続して通うことが難しかったからです。
学校はイギリス・ギルフォード近郊の森に囲まれた自然豊かな場所にありましたが、その一方で校風は非常に厳格でした。

健さん自身も「僕の時代は今よりもっと厳しかったですね」と当時を振り返ります。
一方、娘の野口絵子さんも中学から立教英国学院へ進学しました。

学校生活は楽しかったものの、外部との交流が少ない環境に物足りなさを感じ、「もっと社会の中で学びたい」と考えるようになります。

その思いからニュージーランドへの留学を決意しました。

留学先は北島南西部の町・ワンガヌイ。
人々が自然と共に暮らし、休日には家族でキャンプへ出かける文化が根付いた土地でした。
「ホストファミリーが休日になると島へキャンプに連れて行ってくれて、本当に自分に合っている場所だと感じました。」

そんな絵子さんの言葉からは、自然との距離が近いニュージーランドでの充実した生活が伝わってきます。

人生を変えた、停学中の一冊

世界的アルピニストとして活躍する野口健さんですが、学生時代は決して順風満帆ではありませんでした。厳しい学校生活になじめず、高校時代には停学処分となり、日本へ帰国することになります。

その停学期間中、ふらりと立ち寄った本屋で偶然手に取ったのが、冒険家・植村直己さんの著書『青春を山にかけて』でした。
本には、自分に自信が持てず、コンプレックスを抱えながらも、一歩一歩努力を積み重ねて世界へ挑戦していく植村さんの姿が描かれていました。健さんは、その生き方に強く心を動かされます。

「自分も何か一つ、コツコツ積み重ねていけば、人生を変えられるかもしれない。」

その瞬間、健さんの人生は大きく動き始めました。
山そのものに憧れたというより「植村直己という人間の生き方」に救われたことが、登山人生の原点だったのです。

山への憧れではなく、生き方への憧れ

稲本さんは、植村直己記念館や登山家との交流について触れながら「立教大学山岳部は戦後初めてヒマラヤ遠征を成功させた伝統あるクラブだった」と紹介します。自身も山岳部への憧れはあったものの「森林限界より上には登らない」と決めていたと語りました。

森林限界を超えた世界は、命に直結する危険があるからです。
これに対して健さんは「最近はむしろ森林限界より下の方が危ないかもしれません」と話します。

東北地方ではクマとの遭遇事故が増え、昔のように鈴を鳴らして複数人で歩けば安全という時代ではなくなりました。
山は美しい場所である一方、自然への畏敬の念を忘れてはいけない。そんなメッセージも、この対談から強く感じられました。

エベレストは「10年計画」でたどり着いた

世界最高峰エベレストに登頂したと聞くと、才能や勢いだけで実現したように思われがちです。
しかし野口健さんは、そのイメージをきっぱりと否定します。

「山を始めてからエベレストまで10年かかりました。」

高校時代に「七大陸最高峰を制覇する」という目標を掲げ、まずは各大陸最高峰へ挑戦。その後も6000メートル級、8000メートル級の高峰を経験し、少しずつ技術と経験を積み重ねていきました。
決して近道を選ばず、一歩ずつ着実に前へ進む。
その積み重ねが、世界最高峰への道を切り開いていったのです。

「冒険は資金集めから始まる」

夢を追う上で避けて通れない現実があります。それがお金です。
高校卒業の際、父親から健さんへ掛けられた言葉は、今でも忘れられないそうです。

「冒険には金がかかる。資金を集めるところから冒険は始まる。」

大学生になった健さんは、その言葉を真正面から受け止めます。

学生でありながらスーツを着て企業を訪問し、スポンサー探しを開始しました。
一番多い年には、実に130社以上を訪問したといいます。

断られることの方が圧倒的に多かったはずです。
それでも諦めず、一社ずつ足を運び続けた結果、夢への道は少しずつ現実へと変わっていきました。

夢を見るだけではなく、夢を支える現実にも向き合う。
それもまた、挑戦者に求められる力なのです。

「他に選択肢がなかった」

稲本さんは、このエピソードを聞いてこんな言葉を返します。

「背水の陣って大事なんですよね。」

自身も大学を辞め、山奥で林業を始めた経験から、「もう帰る場所がない」と腹をくくった瞬間、人は本気になれると語ります。

健さんも同じでした。

高校時代に七大陸最高峰を目指すと決めた時点で、他の人生は考えませんでした。

「他に選択肢がなかった。」

だからこそ迷わず、一点突破で前へ進めたと振り返ります。

娘が山を続けた、本当の理由

現在は登山家として活動する野口絵子さんですが、実は子どもの頃は山が好きではありませんでした。

「友達と遊びたい。」
「暖かい場所へ行きたい。」

そんな思いのほうが強かったと笑います。

それでも父と山へ向かった理由は、ただ一つでした。

「父と一緒に過ごしたかった。」

父・健さんは一年の半分近くをネパールなど海外遠征で過ごしていました。

だからこそ、山へ行く時間が父と向き合える大切な時間だったのです。

さらに、山を続ける中で周囲から

「すごいね」
「頑張っているね」

と声を掛けられるようになり、自分に自信を持てるようになったと言います。

登山は単なる趣味ではなく、自分自身を見つける場所にもなっていました。

若い登山者が減る今だからこそ

現在、日本では大学山岳部や社会人山岳会の部員不足が深刻化しています。

一方で、SNSをきっかけに登山へ興味を持つ若者も増えてきました。

絵子さんは「SNSを見て山へ行き始める若い人も少しずつ増えてきています。」と話します。

しかし健さんは、安全面への懸念も口にしました。
近年は、十分な経験を積まないまま冬山へ入ってしまう人も少なくありません。
また、昔以上にクマとの遭遇事故も増えており、山の危険性は決して小さくなっていないのです。

遭難したら「動かない勇気」を

山で最も危険なのは、焦って行動すること。

健さんはそう語ります。

実際、北海道で遭難した小学生が、自衛隊演習場の施設で水だけを飲みながら動かずに救助を待ち続けたことで命を救われた事例を紹介しました。

体力を無駄に使わなかったことが、生還につながったのです。

自然の中では、「行動する勇気」だけでなく、「動かない勇気」も時には必要なのだと教えられるエピソードでした。

小学生から始まったキリマンジャロへの道

ある日、小学生だった絵子さんがテレビでキリマンジャロを見て「私も登ってみたい。」と言いました。

すると健さんは、すぐに連れて行くことはしませんでした。
「じゃあ2年間、悪天候で訓練しよう。」

それから雨の日も、吹雪の日も、長時間歩き続けるトレーニングが始まります。

絵子さんは「いつまで歩くんだろうって思っていました(笑)」と振り返ります。

しかし健さんには理由がありました。

晴れの日だけ歩けても、本番で悪天候になれば人は簡単にパニックになります。だからこそ、精神的にも肉体的にも厳しい状況へ慣れておく必要があったのです。

「行くか、戻るか」は自分で決める

そして迎えたキリマンジャロ本番。

夜中1時に出発した山頂アタックは、満天の星空から始まりました。ところが標高を上げるにつれ天候は急変。猛烈なブリザードとなり、髪もまつ毛も凍り付きます。

山頂まであと約1時間。
ガイドは絵子さんへ問い掛けました。

「進みますか。それとも戻りますか。」

健さんは口を出しません。判断は娘自身へ委ねられました。

絵子さんは「本当に危険なら『帰ろう』と言われるはず。」

そう考え、自分の気持ちも折れていなかったことから「行きます。」と答えました。

「四次元ポケットみたいだった」

その直後でした。

健さんはザックを開けると、なんと予備のダウンジャケットを一着、また一着、さらにもう一着と次々取り出します。

「まるで四次元ポケットみたいだった。」

絵子さんは笑いながら当時を振り返ります。

実は健さんは、ブリザードになる可能性まで想定し、全員分の予備ダウンジャケットとダウンパンツをザックへ詰め込んでいました。その装備があったからこそ、ガイドを含め全員が寒さを乗り越え、無事に登頂し、安全に帰ってくることができたのです。

「思いつき」の裏には、徹底した準備がある

稲本さんは最後に、健さんへこんな言葉を掛けました。

「健さんって、一見すると勢いで動いているように見えるんですよ。でも実際は、誰よりも準備をしている。」

健さんは笑いながらうなずきます。

世間では「感覚派」と思われることもありますが、その実態はまったく逆でした。最悪の事態を想定し、準備を重ね、経験を積み、そして挑戦する。だからこそ世界の山々へ挑み続けることができたのでしょう。

挑戦とは、才能ではなく積み重ね

今回の親子対談から伝わってきたのは、「挑戦」とは才能ではなく積み重ねだということでした。

停学中に出会った一冊の本。
130社を回った資金集め。
10年かけたエベレストへの道。
2年間の悪天候トレーニング。
そして「四次元ポケット」と呼ばれるほどの徹底した準備。

・・・どれも派手さはありません。
しかし、その一つひとつの積み重ねこそが、大きな夢を現実へと変えていく力でした。

夢を実現する人は、特別な人ではありません。
目の前の一歩を積み重ね続けられる人。

そんな当たり前を続けられる人こそが、世界の頂へたどり着けるのだと、この対談は教えてくれました。