| 開催日 | 2026年9月13日 |
| ゲスト | 成澤由浩さん |
| コメンテーター | 稲本 正 |
成澤由浩さんが料理に込める思い
共生進化ネットでは、ゲストに料理人の成澤由浩さんを迎え、稲本さんとともに、「食」「世界」「日本文化」をテーマにお話を伺いました。
今回で成澤さんの登場は3回目。まず話題となったのは、東京・南青山にある成澤さんのレストランです。
大通りから少し奥へ入った場所にあり、目立つ看板を掲げるわけでもなく、店内もシンプルなつくりです。その中でも大きな特徴となっているのが、客席から厨房を見ることができるオープンキッチンです。
料理が生み出す「時間と空間」
成澤さんが料理の世界へ進んだ背景には、幼い頃からの環境がありました。
成澤さんの実家は、祖父の代から続く飲食店でした。生まれた時から、料理を作り、それを誰かに食べてもらうという仕事が身近にあったのです。
その環境の中で育った成澤さんは、食べることによって人が喜び、笑顔になっていく様子を日常的に見てきました。
料理人という仕事の魅力について、成澤さんは単に「料理を作ること」だけではないと話します。
料理を通して、人と人が同じ場所に集まり、食事を楽しむ。その「時間と空間そのものを作ること」に大きな魅力を感じたといいます。
食べるという行為は、人が生まれてから人生を終えるまで続いていくものです。そして今日食べたものが、明日の自分の身体を作っていきます。
そうした人間にとって欠かすことのできない行為に、仕事として関わることができる。それが成澤さんにとって、料理人という仕事の大きな意味となっています。
オープンキッチンだからこそ見えるもの
成澤さんの店では、厨房をお客様から見えるオープンキッチンにしています。もちろん、厨房が見える以上、清潔さは欠かせません。
「客席をきれいにするのは当然ですが、それ以上に厨房をきれいにしていたい」
そう話す成澤さんの原点には、非常にきれい好きだった父親の影響もあるそうです。しかし、オープンキッチンの価値は、単に厨房を見せることだけではありません。料理人の手の動きや仕事ぶりを、お客様に見てもらうことができます。一方で料理人側も、お客様が料理をどのような表情で食べているのかを見ることができます。
「どんな人が、どのように料理を召し上がっているのか。それを見ることは、作り手にとってとても大切なことです」
食事が終わった後に「おいしかった」と言ってもらえることも、もちろん嬉しいことです。
しかし、料理を口にした瞬間の驚きや喜びは、言葉以上に表情に現れます。成澤さんが提供している「土のスープ」のような料理は、料理名を聞いただけでは「本当においしいのだろうか」と戸惑う人もいます。それでも一口食べた瞬間、その驚きが表情へと変わる。その瞬間を直接見ることができるのも、オープンキッチンならではの魅力です。
12歳で初めてアメリカへ
成澤さんの視野を大きく広げることになったのが、少年時代の海外経験でした。
成澤さんが生まれ育ったのは、愛知県常滑市。現在では中部国際空港がありますが、当時はまだ空港もなく、海と山に囲まれた自然豊かな地域でした。
外国人と接する機会もほとんどなく、周囲にいるのは日本人ばかり。そのため幼い頃の成澤さんにとって、「世界にはさまざまな国があり、さまざまな人々が暮らしている」ということさえ、実感する機会はほとんどありませんでした。
そんな中、中学生の頃にアメリカ人の大学教授と出会います。成澤さんが「アメリカへ行ってみたい」と話したところ、その女性から「ぜひ来なさい」と誘われました。そこで成澤さんは、パスポートを取得し、わずか12歳ほどで一人アメリカへ向かうことになります。
学校を休み、一人で飛行機に乗り、乗り継ぎをしながら目的地を目指しました。
飛行機に乗ること自体が初めてで、英語も学校で習った程度。当然、移動だけでも大変な経験だったそうです。
しかも現地で迎えてくれる大学教授も日本語を話せません。
いきなり言葉の通じない環境へ飛び込むことになりました。
しかし、その経験は成澤さんにとって、世界の広さを初めて実感する大きなきっかけとなりました。
東南アジアで目にした、もうひとつの世界
高校生になると、今度はタイ、ビルマ、バングラデシュなど東南アジアを旅する機会を得ます。
アメリカで目にした世界とは、まったく異なる光景が広がっていました。
街には、飢えた犬や牛がいる。水や生活環境も、日本では考えられないほど厳しい場所がある。
当時は空港などで賄賂を要求されることも珍しくなく、日用品を渡すことでようやく通してもらえるような場面さえあったといいます。
日本の地方で育ち、東京すらほとんど知らなかった少年が、アメリカへ行き、さらに東南アジアへ行く。
そこで成澤さんは、「世界は想像していた以上に広く、多様なのだ」と肌で感じていきました。
国によって文化も、暮らしも、価値観も違います。
本やテレビを通して知る世界と、自分の目で見て、匂いを感じ、人と出会う世界はまったく違うものです。
ヨーロッパへ。そして8年間の料理修業
大学進学を考える時期になると、成澤さんは「自分は何を学びたいのだろう」と考えるようになります。
しかし、すぐに答えを出すことはできませんでした。
そこで、実家が飲食業だったこともあり「食文化の本場を自分の目で見てみよう」と考え、ヨーロッパへ向かいます。特定の国を目指したというよりも、まずヨーロッパという地域そのものを知りたいという気持ちでした。
フランス、スイス、イタリアをはじめ、スペイン、ポルトガル、モナコなど、多くの土地を巡りました。
船で働いた経験もあります。
結果として約8年間、ヨーロッパ各地で生活し、さまざまな料理や文化に触れることになりました。
海外に出たからこそ、日本を知りたくなった
ヨーロッパの地方を巡る中で、成澤さんはあることに気づきます。どの地域の人々も、自分たちの土地の文化を大切にしていることです。そして、それぞれの土地で育つ食材を誇りに思っています。
その土地で生まれた食材には、その土地ならではの料理方法がある。
人々はそれを当たり前のものとして受け継ぎながら、大切にしていました。
それを見ているうちに、成澤さんの中にひとつの疑問が生まれます。
「自分は日本人なのに、日本のことをほとんど知らないのではないか」
どれだけヨーロッパに住んでも、どれだけ外国の文化を学んでも、自分自身は日本人です。ならば、自分自身のルーツをもっと知らなければならない。その思いが次第に強くなり、成澤さんは日本へ帰国することを決めました。
土地の食文化には、その土地の誇りがある
稲本さんも海外で似た経験をしたと話します。
たとえばドイツでは、春になると白アスパラガスを大量に食べる文化があります。
旬の時期には店でも家庭でも白アスパラガスが登場し、人々はそれを心から楽しみにしています。
「この季節に白アスパラガスを食べなければ意味がない」
そう言うほど、その土地の人々にとって大切な食文化なのです。食材そのものだけでなく、「この土地にはこれがある」という誇りがあります。そうした姿を見ることで、逆に日本人である自分たちも、日本の文化をもっと大切にする必要があるのではないかと考えるようになります。
成澤さんも、まさに同じ思いを抱きました。
日本を料理でどう表現するのか
日本へ帰国した成澤さんが最初に向き合ったのは、日本の食材でした。日本という国を料理でどう表現すればよいのか。その答えを探すため、日本各地を巡り、食材を探し、生産者を訪ね、多くの人と出会いました。
その過程で農家と出会い、やがて食材を育てる「土」そのものへと関心が向かっていきます。
さらに、その先には森があります。
そこで稲本さんとの出会いがあり、日本の自然環境や文化、精神性について考えるようになりました。そして成澤さんがたどり着いた大きなテーマのひとつが「里山」です。森があり、水があり、畑があり、人の暮らしがある。
それぞれが切り離されているのではなく、ひとつの循環の中でつながっています。
日本の食文化もまた、その自然環境の中から生まれてきたものです。
環境問題を「食べること」から考える
稲本さんは長年、環境問題に取り組んできました。
しかし環境について考える際、ともすると私たちは「環境」という大きな言葉だけを語り、日々の暮らしから切り離してしまうことがあります。
一方、食は誰にとっても身近なものです。
人は毎日食べます。何を食べるのか。どこで作られたものを食べるのか。その食材がどのような土地で育ち、どのような人によって作られたものなのか。
食べるという行為をたどっていけば、農業や森、水、地域の文化、さらには地球環境へとつながっていきます。
だからこそ、「食」という入り口には、人々の意識を変えていく大きな力があるのではないか。
成澤さんとの交流を通して、稲本さん自身もその可能性を強く感じるようになったといいます。
食から、人と世界をつないでいく
12歳で初めて日本を飛び出した成澤さん。アメリカ、東南アジア、そしてヨーロッパ。さまざまな国を歩き、多様な文化に触れたからこそ、最後に見えてきたのは自分自身のルーツでした。世界を知ることは、日本を外から見つめ直すことでもあります。
そして日本を知ろうとすれば、食材だけではなく、土、森、水、文化、人々の暮らしへと視野が広がっていきます。
料理とは、単に空腹を満たすものではありません。
人と人をつなぎ、その土地の自然や文化を伝えるコミュニケーションでもあります。
次回はさらに、食を通したコミュニケーションの可能性や、日本と海外の違いを越えて人と人がつながるためには何が必要なのかについて、成澤由浩さんと稲本正さんの対話を深めていきます。
