| 開催日 | 2026年10月12日 |
| ゲスト | 宮崎学さん |
| コメンテーター | 稲本 正 |
動物がどこを歩き、何を考え、次にどんな行動を取るのか。
人間には予測できないと思われている野生動物の行動も、長年の観察を積み重ねることで、少しずつ見えてくるものがあります。
野生動物写真家の宮崎学さんは、まさにその世界を追い続けてきた人物です。
動物たちの通り道を発見し、独自の撮影装置を開発し、ときには何年もの歳月をかけて、誰も見たことのない瞬間を写真に収めてきました。
しかし、その写真の裏側にあるのは、単なる撮影技術ではありません。
動物の習性を知り、自然環境を読み解き、次に起こることを予測する。そこには、人間が本来持っている「観察する力」が凝縮されています。
今回は、共生進化ネットの対談で語られた宮崎学さんの半生と撮影技術、そして稲本正さんとの対話から見えてきた、人間の能力と進化についてご紹介します。
16歳の少年がクマタカの目に見た「生きる強さ」
宮崎さんが野生動物の世界に強く惹かれるようになったのは、16歳頃のことでした。
当時、病気によって心身ともに弱りきっていた宮崎さんは、自分の人生について深く考えるようになっていました。
そんなある日、ふらりと訪れた動物園で、一羽のクマタカに出会います。
そのクマタカは、小さな檻の中に閉じ込められていました。しかし、自由を奪われているにもかかわらず、空を見つめる目には揺るぎない威厳がありました。
病気に苦しみ、弱っていた自分とは対照的に、クマタカは過酷な環境に置かれても、自分自身に負けていないように見えたのです。
宮崎さんは、その姿に強く心を動かされました。
そして、日本に生息するワシやタカの仲間、全16種類を自分の目で見て、写真に収めることを決意します。
北海道から沖縄まで、日本全国の森を巡り、すべての種類を撮影する。
それは単なる趣味や仕事の目標ではなく、自分自身の人生をかけた挑戦でした。
この目標を達成し、写真集として完成させるまでには、実に15年もの歳月が必要でした。
12万円の軽自動車から始まった、全国を巡る撮影生活
宮崎さんが全国各地を撮影していた時代には、現在のような便利な設備はありませんでした。
カーナビもなければ、車中泊用の装備も十分ではありません。
そこで宮崎さんは、12万円ほどで購入した中古の軽自動車を、自ら改造しました。
運転席以外のスペースを平らにして寝床を作り、小さなプロパンガスの設備を積み込みます。食事は自炊し、道路地図を頼りに各地の山々を巡りました。
現在では車中泊を楽しむ人も増えていますが、宮崎さんはそのはるか以前から、車を生活と撮影の拠点としていたのです。
中でも特に大変だったのが、西表島への遠征でした。
当時の西表島は交通手段が限られており、車を持ち込むだけでも一苦労でした。
宮崎さんは車検が約1年残った中古車を5万円で購入し、大阪からフェリーで那覇へ渡りました。さらに石垣島を経由し、最後は貨物船のクレーンで車を吊り上げ、西表島へ運び込んだといいます。
そこまでして車を持ち込んだのには理由がありました。
野生動物に人間の姿を覚えられないようにしながら、長期間にわたって観察を続けるためです。
ちなみに、この5万円で購入した車は、撮影を終える頃には島の民宿関係者に30万円で売れたそうです。
当時の西表島にはレンタカーがほとんどなく、車そのものに大きな需要があったのです。
撮影にも成功し、車の売却でも思わぬ利益を得るという、何とも面白い結末となりました。
西表島のカンムリワシが教えてくれた、生き物の時間
西表島で宮崎さんが追い求めたのは、カンムリワシでした。
当時はカンムリワシの生態について十分な情報がなく、図鑑でもオスとメスの違いが明確に描かれていませんでした。
そこで宮崎さんは、現地での徹底した観察を始めます。
木の上に板を渡して観察場所を作り、体を固定して落下を防ぎながら、長時間にわたって行動を追い続けました。
ときには木の上でインスタントラーメンを作り、食事をしながら観察することもあったそうです。
こうした生活を続けるうちに、オスとメスでは羽の色が微妙に異なることや、鳴き声、移動経路などが少しずつ分かってきました。
しかし、観察は決して順調なことばかりではありませんでした。
西表島は温暖な地域です。3月には多くの花が咲き、本州とは大きく異なる季節感があります。
宮崎さんは当初、カンムリワシも早い時期から繁殖活動を始めるのではないかと考え、1月から観察を続けていました。
ところが、実際の繁殖時期は6月頃でした。
気候が暖かいからといって、生き物の生活周期まで早まるとは限らなかったのです。
この経験は、自然を人間の感覚だけで判断することの難しさを物語っています。
さらに宮崎さんは、オスが一定の経路を通って巣へ向かうことや、巣に入るときと出るときでは通る道が違うことにも気づきました。
地元の人が撮影した交尾の写真から巣の位置を推測し、周辺を徹底的に調査することもありました。
こうした観察と推理を重ねた結果、宮崎さんは1年間で三つの巣を発見することに成功しました。
偶然見つけたのではありません。
それまでに撮影してきた15種類のワシやタカの知識を土台に、カンムリワシの生態を読み解いていったのです。
動物にも「通勤路」がある。獣道から生まれた撮影革命
宮崎さんの撮影技術を語るうえで欠かせないのが、獣道の発見と自動撮影装置の開発です。
山を歩いていると、テンやキツネなどの糞が落ちていることがあります。
宮崎さんは、同じ場所に何度も糞が見つかることを不思議に思いました。
そこで、一度その糞をきれいに片づけ、場所に目印をつけておきました。
しばらくして再び訪れると、同じ場所に新しい糞が落ちています。
このことから、動物たちは決まった経路を繰り返し利用しているのではないかと考えました。
人間が毎日同じ道を通勤するように、動物たちにも生活のために使う道があるのです。
それならば、その通り道にカメラを設置すれば、動物の自然な姿を撮影できるはずです。
宮崎さんは、早速その仕組みを作り始めました。
最初に利用したのは、わずか3,000円で購入した二眼レフカメラでした。
地面から10センチほどの高さに糸を張り、動物が触れるとスイッチが入り、小型モーターがシャッターを押すように改造したのです。
試行錯誤の末、実際に動物の姿を撮影することに成功しました。
しかし、釣り糸では光を反射してしまう問題がありました。そこで黒い木綿糸に変更するなど、細かな改良を重ねます。
さらに宮崎さんは、エレベーターの扉などに使われていたセンサー技術に着目しました。
糸に触れさせるのではなく、赤外線ビームを利用して動物の通過を検知する仕組みを考案したのです。
必要な部品は秋葉原などで探し、自分で組み立てました。
この発想によって、動物が人間を警戒することなく、普段どおりの姿を撮影できるようになりました。
写真家なのに、カメラまで自分で作ってしまう
宮崎さんの特徴は、撮影技術だけでなく、撮影機材そのものを開発してしまうことにもあります。
兄から譲り受けた高価なブロニカのカメラも、そのまま使うことはありませんでした。
自動撮影に対応させるため、モーターを組み込み、独自のモータードライブ機構を製作しました。
さらに、大判カメラ用のレンズを取り付けるための部品を設計し、金属加工や表面処理にも工夫を凝らしました。
山中に長期間設置するカメラには、通常の撮影とは異なる問題が生じます。
雨や湿気、気温の変化、余計な光の侵入などです。
宮崎さんは、こうした問題に対応するため、レンズフードの形状まで自ら考えました。
必要に応じて専門業者にも加工を依頼しましたが、基本となる設計は自分で行っていました。
一般的には、カメラはメーカーが作り、写真家はそれを使って撮影します。
しかし宮崎さんの場合は、撮りたい写真が先にあり、それを実現するために必要な機械を作るという順序でした。
既存の道具で撮れないのであれば、撮れる道具を作ればよい。
この考え方こそ、宮崎さんの写真を支えてきた大きな原動力だったのでしょう。
ヌード劇場で学んだ、野生動物を美しく撮る技術
宮崎さんの写真には、もう一つ大きな特徴があります。
それは、野生動物がまるでスタジオで撮影されたかのように、美しく立体的に写っていることです。
その秘密は、ライティングにありました。
宮崎さんは、動物が現れる場所や姿勢を予測し、あらかじめ複数のストロボを配置していました。
ストロボを三つ使い、異なる方向から光を当てることで、動物の体に立体感を生み出していたのです。
では、その技術をどこで学んだのでしょうか。
実は、意外な場所でした。
若い頃、知人の作家に誘われてヌード劇場へ行ったときのことです。
周囲の人たちが舞台上の踊り子に注目する中、宮崎さんは天井ばかり見ていました。
どこに照明があり、どの角度から光が当たり、人物の体にどんな陰影が生まれるのか。
宮崎さんが夢中になっていたのは、舞台照明の仕組みだったのです。
知人から「どこを見ているんだ」と尋ねられ、照明を見ていると答えると、「やっぱり写真家だな」と笑われたそうです。
しかし、そこで観察した技術は、後に野生動物の撮影に活かされることになりました。
舞台照明と野生動物の撮影。
一見すると無関係な二つの世界ですが、光によって被写体の姿を表現するという点では共通しています。
宮崎さんは、そこに応用できる技術を見いだしていたのです。
雨の日も、誰もいない夜も。自然は撮影を続けている
宮崎さんが目指したのは、天候に左右されない撮影システムでした。
雨の日も、雪の日も、動物たちは生きています。
人間が撮影しやすい時間だけ活動しているわけではありません。
だからこそ、宮崎さんは自分がその場にいなくても撮影できる仕組みを作りました。
その成果の一つが、アカネズミの親子を捉えた写真です。
大雨によって巣が水浸しになりそうになったとき、親ネズミはまだ目の開いていない子どもを口にくわえ、安全な場所へ移動させていました。
その様子を自動撮影装置が記録していたのです。
しかも、一晩で3枚の写真が撮れていました。
写真を見比べると、親ネズミが子どもを迎えに行く経路と、連れて戻る経路が違っていることも分かりました。
これは、単に珍しい瞬間を撮影したというだけではありません。
写真から動物の行動を読み解き、新たな発見につなげているのです。
宮崎さんは、動物を大きく鮮明に写すだけでは満足していませんでした。
動物が暮らす環境や、自然の中に漂う気配まで表現したいと考えていたのです。
文章でいえば「行間」にあたるような、直接は語られていない部分です。
自然の豊かさは、被写体そのものだけではなく、その周囲に広がる環境や関係性の中にも存在しています。
フクロウの「会話」が分かるようになるまで
宮崎さんは、長年の観察によって鳥たちの鳴き声を聞き分け、そこから行動を予測できるようになったと語っています。
その能力が特に活かされたのが、フクロウの撮影でした。
フクロウは夜間に活動するため、暗闇の中では姿を見ることが難しくなります。
しかし、鳴き声を聞けば、何をしているのか、次にどこへ向かうのかを推測できます。
例えば、オスがネズミを捕まえて巣に戻るときには、遠くから鳴き声が聞こえてきます。
すると、巣の中にいるメスも声を返します。
オスが近づくにつれて鳴き声は変化し、メスもそれに応じて声を変えていきます。
宮崎さんは、こうした微妙な違いを長年聞き続けることで、鳥たちがどのような状況にあるのかを判断していました。
また、フクロウが獲物を待ち伏せる習性を利用し、人工的に止まり木を設置することもありました。
実は、江戸時代にも田畑に止まり木を設け、フクロウにネズミを捕らせる方法が利用されていたそうです。
宮崎さんは古い文献から得た知識を、現代の撮影技術に応用していたのです。
半年前からカメラを設置する。10年がかりのフクロウ撮影
フクロウの撮影では、完成までに10年もの歳月を費やした作品もありました。
山の中に小屋を建て、そこに寝泊まりしながら観察を続けます。
特に重要だったのは、撮影機材を設置するタイミングでした。
フクロウが巣を作ってからカメラを持ち込めば、警戒して別の場所へ移動してしまう可能性があります。
そこで宮崎さんは、巣を作る半年ほど前からカメラを設置しておきました。
まだ警戒心が強くない時期に準備を終え、繁殖期には自然な姿を撮影できるようにしたのです。
さらに、撮影場所から約200メートル離れた小屋までコードを引き、遠隔操作でシャッターを切る仕組みも作りました。
カメラには小型マイクも取り付けてありました。
宮崎さんは小屋の中でフクロウの鳴き声を聞き、行動を予測しながら撮影のタイミングを判断していたのです。
現在であれば、デジタルカメラや無線通信を利用する方法もあります。
しかし当時は、そうした技術が一般的ではありませんでした。
宮崎さんは医療用の特殊なカメラも利用し、大量のフィルムを使って撮影を続けました。
当然、失敗した写真も数多くありました。
それでも、撮りたい瞬間が現れるまで観察と工夫を積み重ねていったのです。
「自分でシャッターを切らない写真は邪道だ」
宮崎さんの独創的な撮影方法は、やがて大きな注目を集めるようになりました。
撮りためた写真を銀座ニコンサロンに応募すると、初めての応募で銀座、新宿、大阪の3会場で展示されることになりました。
新聞やテレビでも取り上げられ、多くの人が作品を見に訪れました。
しかし、評価ばかりではありませんでした。
自動撮影装置を使っていることに対し、「自分でシャッターを切っていないのだから邪道だ」という批判もあったのです。
従来の写真家にとって、シャッターを押す瞬間は撮影行為の中心だったのかもしれません。
しかし宮崎さんは、その瞬間だけでなく、動物の生態を理解し、撮影場所を選び、装置を設計し、光を配置するという一連の工程を重視していました。
写真が完成するまでには、膨大な観察と準備が必要だったのです。
批判を受けながらも宮崎さんは撮影を続け、後にはニコンサロンの審査員を務めるようになりました。
かつて新しい撮影方法を批判された写真家が、今度はほかの写真家の作品を評価する立場になったのです。
人間は便利になるほど、観察する力を失っていないか
対談の終盤、稲本正さんは宮崎さんの撮影活動から、現代社会に通じる重要な問題を提起しています。
宮崎さんは、動物の行動を観察し、その習性を理解することで、次に何が起こるのかを予測してきました。
カンムリワシの巣を探すときも、獣道を発見するときも、フクロウの鳴き声から行動を読み解くときも、基本となるのは観察と推理です。
ところが、現代社会では、こうした能力を使う機会が少なくなっているのではないでしょうか。
例えば、昔の住宅では外の音がよく聞こえました。
フクロウが鳴けば、その声が自然と生活の中に入ってきました。
しかし現在の住宅は気密性や防音性が高くなり、室内にはさまざまな機械音も存在しています。
外で鳥が鳴いていても、気づかないことがあります。
鳥がいなくなったのではなく、人間の側がその存在を感じ取れなくなっている場合もあるのです。
私たちは多くの知識を手に入れ、便利な道具を使えるようになりました。
しかし、それと引き換えに、自分の感覚を使って周囲の環境を読み解く機会が減っているのかもしれません。
稲本さんは、このような変化が人間の進化にどのような影響を与えているのか、考える必要があると指摘しています。
知識が増えることと、観察力が高まることは、必ずしも同じではありません。
情報を手に入れるだけでなく、目の前で起きていることを見つめ、そこから自分で考える力が求められているのではないでしょうか。
まとめ:自然を理解することは、人間自身を理解すること
宮崎学さんの写真は、野生動物の美しい姿を記録したものです。
しかし、その一枚一枚の背景には、長年にわたる観察と試行錯誤があります。
動物の行動を知るために山へ入り、生活の痕跡を調べ、何年もかけて同じ場所を観察する。
必要な機材がなければ、自分で作る。
そして、動物が次に何をするのかを予測し、その瞬間が訪れるのを待つ。
そこには、自然を自分の都合に合わせようとするのではなく、自然の仕組みを理解しようとする姿勢があります。
現代社会では、私たちは分からないことがあれば、すぐに情報を検索できます。
しかし、検索によって得られる知識と、自分の目で観察して発見することは同じではありません。
宮崎さんの活動が教えてくれるのは、自然の中には、まだ私たちが気づいていない情報が無数に存在しているということです。
そして、その情報を読み解く力は、特別な機械だけでなく、人間自身の観察力や想像力によって育まれていくものでもあります。
自然を観察することは、動物を理解するだけでなく、人間が本来持っている能力を見つめ直すことにもつながります。
便利さを追い求める時代だからこそ、立ち止まって周囲を見渡し、自分の目と耳で世界を感じ取ることが大切なのかもしれません。
