私たちは毎日、食べ物を食べ、空気を吸い、水を飲んで暮らしています。
あまりにも当たり前のことなので意識する機会は少ないかもしれません。しかし、その食べ物は誰が、どこで、どのように作ったのでしょうか。そして私たちが吸っている酸素は、どこから生まれているのでしょうか。
今回の「共生進化ネット」では、野口健さん、野口絵子さんをゲストに迎え、稲本正さんとともに、教育、農業、食、生産者、自然体験、そしてこれからの生き方について語り合いました。
一見すると別々に見えるテーマですが、話をたどっていくと、その中心には一つの共通点が見えてきます。
それは「実際に体験することで、世界の見え方が変わる」ということです。
学校の勉強だけでは得られないもの
現在の教育では、テストの点数や知識の習得が重視されがちです。
もちろん、それらも大切です。しかし稲本さんは、大学まで教育に携わってきた経験から、現在の教育には「本当に役立っているのだろうか」と感じる部分も多いと語ります。
一方、植物を育てたり、田んぼで米を作ったり、自然の中で過ごしたりする体験は、直接テストの点数にはつながりません。
だからといって、それらは本当に「勉強ではない」のでしょうか。
野口絵子さんも、小さい頃に学校で野菜やトマトを育てた経験はありました。しかし、それを「自然とのつながり」として意識したことはなかったといいます。
その感覚が大きく変わったのが、大学に入ってからでした。
田んぼが大学と地域をつないだ
野口絵子さんが通う慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)は、藤沢市の自然豊かな地域にあります。
ところが入学すると、学生たちからは「遠い」「臭い」といった、周囲の環境に対するネガティブな言葉も聞かれました。
せっかく自然や農村が身近にあるのに、その環境を生かせていないのではないか。
そんな違和感から出会ったのが、大学と地域をつなぐ「田んぼ」の活動でした。
学生自身が学校の外へ出て、一から米を作ります。
田んぼで作業をすれば、地域の人との交流が生まれます。そして一年間の米作りを通して、大学と地域との関係も少しずつ深まっていきます。
そのつながりは、単なる「農業体験」の枠を超えていきました。
一緒に米作りをしている学生の部屋に、地域の80代の女性たちが集まって飲み会をすることもあるそうです。
大学生と地域のおばあちゃんたち。
普通に大学へ通っているだけでは、なかなか生まれない関係です。
田んぼが、世代も立場も違う人たちをつなぐ場所になっているのです。
自分で作ったものは、なぜおいしいのでしょうか
自分で作った米を、自分で炊いて食べる。
すると「今まで食べた中で一番おいしい」と感じる人がいます。家庭菜園の野菜にも似たところがあります。採れたてだからおいしいという理由はもちろんあります。
しかし、それだけではありません。
土に触れ、育て、待ち、収穫する。そこまでの時間を知っているからこそ、一口の重みが変わります。スーパーで買った米なら「商品」だったものが、自分で作れば、その一粒ができるまでの過程まで想像できるようになります。
食べ物の味には、育てた時間や経験も含まれているのかもしれません。
生産者を知ると、スーパーの商品が違って見える
野口絵子さんは、米作りを経験してから「生産者」に目が向くようになったといいます。その関心は農業だけではありません。
福井県若狭町では定置網漁の船に乗り、漁師から直接話を聞きました。
「昔より魚が減った」
「獲れる魚の種類が変わった」
現場へ行くことで、普段スーパーで魚を買っているだけでは見えてこない問題が見えてきます。
牡蠣の養殖業者からは、さらに興味深い話を聞きました。
本当においしい時期と、最も高く売れる時期が必ずしも一致するとは限らないというのです。
「一番おいしい時期に届けたい」
そう考える生産者がいる一方で、市場の需要に合わせなければ経営が成り立たないという現実もあります。
こうした背景を知ると、目の前にある一つの商品を見たときにも、
「これは誰が作ったのだろう」
「どんな思いで作っているのだろう」
と考えるようになります。
商品だけを見るのではなく、その向こう側にいる人まで想像するようになるのです。
「旬」は、身体と自然をつなぐもの
現代のスーパーでは、季節を問わずさまざまな野菜や果物を購入できます。便利な一方で、「旬」を意識する機会は少なくなりました。
しかし稲本さんは、旬と人間の身体のリズムには関係があるのではないかと語ります。例えば、冬にはそれほど欲しくならないキュウリも、暑い夏には自然と食べたくなります。地域の農家が、その時期に採れたものを販売する道の駅などへ行けば、自然と旬のものを選ぶことになります。
魚も同じです。
その日の朝まで海を泳いでいた魚を、その日の朝に食べる。そのおいしさを知れば、食べ物に対する印象そのものが変わることがあります。
もしかすると「魚が嫌い」「野菜が嫌い」という子どもの中には、本当においしい状態の魚や野菜をまだ知らない子もいるのかもしれません。
森と川と海は、すべてつながっている
自然のつながりは、食だけではありません。豊かな土ができるまでには、非常に長い時間がかかります。
植物が育ち、枯れ、再び土へ戻る。その土から、また新しい植物が育ちます。
森で生まれた物質は川を通じて海へ運ばれ、植物プランクトンなどに利用され、さらに海の生き物へとつながっていきます。
森、川、海。
私たちは別々の環境として考えてしまいがちですが、自然界では一つの大きな循環の中にあります。
そして人間も、その外側にいるわけではありません。
私たちが毎日食べているものも、その循環の中から生まれています。
昔からの「経験知」を科学が追いかける
漁師や農家など、自然を相手に長年仕事をしてきた人たちは、独特の「勘」を持っています。
「この条件なら魚がおいしい」
「こういう状態なら作物がよく育つ」
科学的な説明ができなくても、長い経験から答えを知っていることがあります。そして後から研究してみると、その経験則に科学的な理由が見つかることもあります。最初から科学的な理論によって答えが見つかるとは限りません。
まず人間が自然と関わる中で「何か違う」「これは面白い」と気づき、それを科学が検証する。
長い時間をかけて受け継がれてきた暮らしの知恵にも、まだ私たちが理解できていない合理性が隠されているのかもしれません。
「食べない」だけではなく、「動く」ことも考える
食について考える中で、話題は身体を動かすことにも広がりました。
野口健さんは、山岳地域で活動するシェルパたちが非常に多くの米を食べながら、重たい荷物を背負って長時間歩く姿を見ています。現代では「炭水化物を控える」「米を食べない」といった食事法もあります。
しかし、食べ物だけを切り離して考えるのではなく、どれだけ身体を動かしているのかという生活全体を見ることも必要です。
そして「歩く」ことには、運動以上の意味があります。
机に向かって考え続けていると行き詰まっていたことが、散歩をすると突然整理されることがあります。
景色が変わり、身体が動くことで、物事を見る角度も変わります。
自然の時間に、自分を合わせてみる
都会では、時計を中心に一日が進んでいきます。
何時に起きる。
何時に電車に乗る。
何時までに仕事を終える。
常に時間に追いかけられているように感じることもあります。
ところが農作業では、少し違います。
「○日にやる」と決めていても、雨が降ればできません。
反対に「今日は天気がいいから、今日やろう」ということもあります。
人間が決めたスケジュールではなく、天候や季節に人間の方が合わせます。
野口絵子さんは、東京以外の自然がある場所へ行くと、太陽の光や鳥の声、季節の変化を感じながら生活するようになるといいます。そこでは、時計ではなく自然が時間を教えてくれます。
現代社会の速さを否定する必要はありません。ただ、ときには自分で何かを作り、自分のペースでゆっくり過ごす。
そんな「豊かな時間」を取り戻すことも必要なのかもしれません。
子どもたちの「体験格差」をなくしたい
今回の対談で特に印象的だった言葉の一つが「体験格差」です。経済格差によって学歴に差が生まれる「学歴格差」はよく知られています。しかし経済的な条件によって、
山へ行ったことがある。
田んぼに入ったことがある。
魚を獲ったことがある。
野菜を育てたことがある。
そうした経験にも差が生まれます。
これが「体験格差」です。
自然体験には、移動費や参加費が必要になる場合があります。そのため家庭の経済状況によって、子どもが得られる経験に差が生じる可能性があります。
だからこそ、学校や地域の役割が重要になります。
学校の先生だけですべてを教える必要はありません。
農業なら農家、林業なら林業の専門家など、地域にはさまざまな知識や技術を持った人がいます。
先生がそうした人たちと子どもをつなぐコーディネーターになれば、学校そのものが地域とつながることができます。
日本には山があり、川があり、海があり、田畑があります。
体験するための「教材」は、すでに私たちの身近なところにあるのです。
人から貼られた「レッテル」が、自分自身になってしまう
対談の終盤では、少し意外なテーマへ話が広がりました。
それが「社会から与えられるイメージ」です。
野口健さんなら「登山家」。
稲本さん自身も、活動を続ける中で特定のイメージを持たれるようになったといいます。
人は、分かりやすい肩書きで相手を理解しようとします。
問題は、周囲から貼られたレッテルに、本人まで無意識に合わせてしまうことです。
「周囲からこのキャラクターを求められているから」
「自分はこういう人間だと思われているから」
そうやって振る舞い続けているうちに、本当に自分自身がそのイメージへ近づいていきます。
一度定着したイメージを作り直すことは簡単ではありません。
だからこそ、社会から評価された自分も大切にしながら「自分はそれだけではない」という感覚を持ち続けることが重要です。
体験すると、世界は「自分のこと」になる
田んぼに入る。
自分で米を作る。
漁師の船に乗る。
森を歩く。
星を見る。
地域の人と話す。
どれも、それだけで世界を劇的に変える行動ではありません。
しかし、一度でも自分の身体で経験すると、それまで遠くにあった問題が急に身近になります。
米を作れば、農業が自分のことになります。
漁師と話せば、海の変化が自分のことになります。
森に入れば、植物や土の存在が自分のことになります。
だからこそ、環境問題について知識を伝えるだけではなく、「実感できる体験」をつくることが大切なのではないでしょうか。
教育、食、農業、自然、地域、そして環境。
それぞれ別のテーマに見えて、実はすべてつながっています。
自然の中へ一歩出て、自分で触れて、作って、食べて、人と話してみる。
そこから初めて見えてくる世界があります。
これからの豊かな生き方を考えるヒントは、案外そんな身近な「体験」の中にあるのかもしれません。
