| 開催日 | 2026年10月04日 |
| ゲスト | 宮崎学さん |
| コメンテーター | 稲本 正 |
自然の中で動物を探すとき、私たちはまず「目」を使います。木々の間を見渡し、空を見上げ、何か動くものがないか探します。しかし、長年にわたって野生動物を追い続けてきた写真家は、それだけでは自然の本当の姿は見えてこないと語ります。
目を使う。耳を使う。鼻を使う。
そうして複数の感覚から得た情報を組み合わせることで、初めて自然を「立体的に見る」ことができるのです。
その独特な自然観は、どのようにして生まれたのでしょうか。
中学卒業から始まった、独学の写真家人生
写真家としての原点は、決して華々しいものではありませんでした。
中学校を卒業すると、そのまま社会へ出ます。
働き始めたのは、小さなカメラ関連の会社でした。そこでレンズを磨いたり、機械加工をしたりしながら働きます
転機となったのは、兄が東京へ出て写真学校へ通い始めたことでした。
そこで初めて、「写真を仕事にする」という世界があることを知ります。
ところが、自身は写真学校へ進みませんでした。
学校へ支払うお金があるのなら、その分をカメラやフィルムに使おうと考えたのです。
そこから、独学による写真の勉強が始まりました。
通勤時間も使いながら、とにかく撮る。
失敗したら、なぜ失敗したのか考える。
そしてまた撮る。その繰り返しでした。
月給9,000円。それでもカメラが欲しかった
当時の月給は約9,000円。
一方、欲しかったニコンFは約6万5,000円もしました。
簡単に買える金額ではありません。
そこで約4万5,000円のミノルタをローンで購入しました。
給料の半分を支払いに回し、残ったお金もフィルム代へつぎ込んでいきます。
それほどまでに写真へ夢中になっていました。
そして17歳の頃、洞窟で眠るコウモリを撮影します。
その写真を『朝日カメラ』へ応募したところ、いきなり入選。
さらに別の作品を応募すると、再び入選します。
少しずつ「長野県の山の中に野生動物を撮っている若者がいる」と知られるようになっていきました。
「誰もやっていないこと」をやる
写真を撮るうえで大切にしていたのが、
「人と同じことはやりたくない」
という考えでした。
誰でも撮影できるものではなく、まだ誰も撮っていないものを撮る。
難しいものへ挑戦する。
そのため、仕事の依頼が来る前から野生動物の写真を撮り続けていました。
普通なら、注文を受けてから仕事をします。
ところが、注文されてもいないのに撮り続けていたのです。結果として、その膨大な写真が後に大きな武器になります。出版社の編集者が写真を見に来た際、それまで撮りためていたカモシカなどの野生動物の写真を見せると、話は一気に進みました。
やがて雑誌『アニマ』の仕事につながり、写真家として活躍の場を広げていきます。
仕事が来たから準備したのではありません。
準備していたから、仕事が来たときにつかむことができたのです。
15年かけて「すべての巣」を探す
さらに壮大な挑戦が始まります。
日本で子育てをするワシやタカの仲間を追い、日本全国を巡る仕事です。
自分自身に課したテーマは「全種類の巣を見つける」というものでした。
なぜ巣を探すのでしょうか。
巣を見つけなければ、その動物がどこで生活し、何を食べ、どのように子育てをしているのかが見えてこないからです。北海道から沖縄の離島まで足を運び、実に15年をかけて取り組みました。
単に野生動物の美しい姿を撮影するのではありません。
その動物が「どのように生きているのか」まで知ろうとしていたのです。
巣を探すには「目」だけでは足りない
しかし、山の中にある野生動物の巣をどうやって探すのでしょうか。
そこで重要になるのが、長年の経験から培われた独特の観察方法です。
現代人は、つい目だけでものを探そうとします。しかし自然を見るためには、それでは不十分だといいます。
目を使う。耳を使う。鼻を使う。
複数の感覚を使うことで、それぞれ単独では意味を持たなかった情報がつながっていきます。
たとえば、鳥の鳴き声です。
鳴き声を聞けば、その鳥がどこにいるのか推測できます。
飛び方を見れば、どこへ向かっているのかが分かります。
食べられた動物の痕跡があれば、周囲に何らかの捕食者がいる可能性があります。
一つひとつは小さな情報です。
しかし、見る・聞く・嗅ぐ。
それらを組み合わせることで、目には直接映っていないものまで見えてくるのです。
動物はこちらが思う以上に「人間を見ている」
自然の中では、人間だけが動物を観察しているわけではありません。
動物たちもまた、人間を観察しています。
こちらが見つけるより先に、向こうはこちらの存在に気づいているかもしれません。
そして、
「この人間なら大丈夫そうだ」
「これは危険だ」
と判断している可能性があります。
私たちは自然を見る側であると同時に、自然から見られる側でもあるのです。
この視点に立つと、「自然観察」という言葉の意味も少し変わってきます。
人間が一方的に動物を見るのではありません。
人間もまた、自然という大きな関係性の中にいる存在なのです。
熊が木の皮を剥ぐ。それは本当に「害」なのか
対談では、熊が杉やヒノキの皮を剥ぐ行動についても興味深い話が語られています。
人間からすれば、せっかく植えて育てた木を熊に傷つけられれば困ります。
そのため、熊を「害獣」として捉えたくなるでしょう。
しかし、木を一本一本見ていくと、別の可能性が見えてきます。
同じ場所に同じように植えられた木であっても、地下の環境は同じではありません。
土の深さも違えば、岩盤の位置も違います。
十分に根を張れず、栄養を取りにくくなっている木もあります。
そうした木は、生き残るために内部でさまざまな変化を起こします。
そして、その変化を熊が感じ取っているのではないか。
つまり、
「熊が木を傷つけた」
という出来事だけを見るのではなく、
なぜ熊はその木を選んだのか。
そこまで考えなければ、本当の理由にはたどり着けないということです。
自然は、全部つながっている
木だけを見ていても、森は分かりません。
動物だけを見ていても、自然は分かりません。
土があり、植物があり、昆虫がいて、鳥がいて、獣がいて、そこに人間もいます。
それぞれが独立して存在しているわけではありません。
どこか一つが変われば、別の場所にも影響が現れます。
自然の中では、一見まったく関係がないように見える出来事もつながっています。
だからこそ、自然を見るためには一つの専門分野だけではなく、さまざまな方向から物事を見る必要があります。
「見えるもの」だけを見るのをやめてみる
17歳で写真雑誌へ応募し、独学で写真を学び、誰も撮っていない野生動物を追い続け、日本全国を歩く。
その経験から生まれたのは、単なる撮影技術ではありませんでした。
世界を見る方法そのものだったのかもしれません。
目の前にあるものだけを見るのではなく、その周囲で何が起きているのかを考える。
音を聞く。痕跡を見る。違和感を覚える。
そして、それらをつなげて考える。
これは自然観察だけに使える考え方ではありません。
仕事でも、人間関係でも、社会を見るときでも同じです。
私たちは「目に見える結果」だけで物事を判断してしまいがちです。
しかし、その背景には必ず何かがあります。
目だけでは見えないものに気づくこと。
それこそが、本当の意味で「見る」ということなのかもしれません。
